お正月の名物、「第97回東京箱根間往復大学駅伝競走」(関東学生陸上競技連盟主催)が2、3の両日、東京・大手町と箱根・芦ノ湖間で行われる。昨年10月に行われた予選会では、兵庫県丹波篠山市出身の4年生2選手が出場し、本選出場に貢献した。両選手のこれまでの道のりと、箱根への思いを取材した。
山梨学院大・遠藤さん「あこがれの舞台へ」
今田中学校、報徳学園高校出身の山梨学院大4年生の遠藤悠紀さん(22)は、予選会のハーフマラソンでは1時間3分58秒の記録で170位(チーム内11位)。山梨学院大は10時間30分50秒で7位(前回予選会17位)だった。チーム第2グループのリーダーとして15キロ付近までチームを牽引、本選出場に貢献した。
予選会後は、11月の日本体育大学記録会1万メートルで、それまでの自己記録を36秒縮める28分58秒01でベストを更新。初めての28分台で「練習でやってきたことが出せた」と喜ぶ。12月初旬までの1週間の合宿では、30キロ走で走り込み、その後は大学のトラックで速いペースに慣れる練習を積んできた。「チームとして次大会のシード権が獲得できる10位以内」を目標にしている。
今田小の1年生から地元の少年サッカーチームでゴールキーパーを務めた。校内マラソンでは5年生時以外は全て学年でトップだった。中学では兵庫県三田市のサッカークラブチーム「ファイザォンFC」でゴールキーパーを続けながら、学校から陸上大会に参加。各陸上大会で優勝し、2年の夏に陸上に専念しようとサッカーチームを退会。学校には陸上部はなかったが、当時の富永正治校長から練習メニューのアドバイスをもらい、個人練習で力をつけた。結果、3年の県総体1500メートルで8位の好成績を残した。
報徳学園時代は4時半に起床し、朝練に参加。午後6時に練習を終え、1時間半かけて帰宅する毎日を繰り返し、陸上漬けの日々だった。3年生時には近畿総体5000メートルで7位の成績を残し、さらにレベルアップした。
大学は強豪の山梨学院大の上田誠仁監督に誘われ入部。ハーフマラソン、1万メートルを中心に出場。選手寮では1階のフロア長を務め、後輩たちの生活面にも気を配る。
箱根駅伝は「高校2年ごろから目指してきた憧れの舞台」と言い、陸上競技生活は大学で最後と考えている。卒業後は実家に戻り、県内の自動車ディーラーに就職する予定だという。
中央大・加井さん「4年間の集大成に」
中央大学4年生で篠山中学校出身の加井虎造さん(22)は、昨年10月17日に行われた予選会のハーフマラソンで、自己ベストの1時間3分00秒を記録。粘り強い走りを見せ、古豪の4年連続94回目となる本選出場に貢献した。
予選会後も好調をキープ。10月24日に行われた学内記録会では、5000メートルで自己ベストの13分58秒67を記録し、「箱根に向けて良い滑り出しができた」と振り返る。
城南小時代、マラソン大会では常に上位。走力には自信があり、中学から陸上を始めた。中学2年秋の丹有駅伝では2区を走り、区間賞の快走。篠山中の13年ぶりの優勝に貢献した。3年秋の県駅伝は1区で出走。並み居る有力選手たちを抑え、区間賞に輝いたその勝負強い走りに、西脇工業高陸上部の足立幸永監督がほれ込んだ。
足立監督は、丹波篠山の加井さんの自宅まで足を運び、同部の実績や加井さんの可能性を説いた。地元の公立校に進学しようと思っていたが、「厳しいのは覚悟の上」と強豪校の門を叩いた。
高校入学後は、上下関係の厳しさや慣れない寮生活に苦しんだ。練習で1日に走る距離は20キロ以上。「入ってみたらきついことばかりでした」。そんな日々を乗り越え、3年秋の県駅伝では3区を走り、区間3位で優勝に貢献。全国駅伝でも4区を任されるなどチームの主力選手へ成長した。「陸上に全てを注いだ3年間でした。そのおかげで心身ともに強くなれたし、自立もできた」
進学先は、推薦での入学が可能となる設定タイム(高2時で5000メートル14分40秒以内)をクリアしており、西脇工業OBの藤原正和監督が率いる中央大に決めた。
チームとして20年ぶりのベスト3入りを目指す箱根駅伝。加井さんは過去3年間、大会直前で調子を落としたり、故障の影響などもあって、出走経験はない。「大学4年間の集大成の舞台になれば」と考えている。卒業後も実業団で陸上を続ける予定だ。