兵庫県丹波市山南町の岩尾城跡を観光資源にしていこうと整備を進めている「ふるさと和田里山づくり協会」(村上芳功会長)がこのほど、同城跡の古井戸を掃除していたところ、井戸の底から木簡の一部分などの歴史的遺物を発見した。木簡には墨で書かれた「汀」もしくは「江」と読み取れる漢字が一文字、かろうじて残っている。「“お宝”発見時のもしもの際に」と、整備作業に付き添っていた丹波市教育委員会文化財課の考古学専門学芸員、西岡真理(まこと)さん(33)は、「地元の戦国史を解明する上で、貴重な史料となるかもしれない。他にも文字が書かれていそうなので解析を進めたい」と話している。
同城跡は県指定文化財。「蛇山」の山頂部(標高358メートル)にあり、和田日向守斉頼(ときより)が1516年に築城したと伝わる。明智光秀の丹波攻めにより1579年に落城。1586年に近江から佐野下総守栄有が入封し、城郭を改修。やがて豊臣秀吉の命により廃城となり、1596年に破却された。
同課によると、木簡の一部は長さ約30センチ、幅約6センチ、厚み約3ミリ。材はスギかヒノキとみられる。「汀」か「江」と読める漢字が一文字書かれているが、判然としない。
ほかにも、約8センチ四方(厚み約3センチ)で、一辺に山型の切り込みが入れられた木片と、ほぼ木簡と同サイズで中央付近に直径1ミリほどの穴が2つ開けられた木の加工品、瓦が見つかった。
井戸は天守台から50メートルほど直下の、標高300メートル付近の山腹にあり、往時のままの姿をとどめる山城の掘井戸は全国的にも珍しく、貴重な遺構とされている。大きさは約2メートル四方で、深さは7メートルと伝わる。岩肌がむき出しになった谷筋の傾斜部にあり、山側に水平に2メートルほど掘った後、地下に向けて垂直に掘り進めたもよう。今も深さ1メートルほどの水をたたえている。谷側に高さ約1メートルの石組みが残っており、その上面が登山道脇になっている。
集落から近いこともあり、同城跡一帯は昔、子どもたちの遊び場で、井戸もよく知られた存在。「近年になって転落防止の鉄格子が被せられたが、それまでは、地面にぽっかりと口を開けたままの状態だった」と地元住民。これまでに1度も調査された記録がないという。
「木片が出てきた。文字が書いてあるぞ」
井戸の中には相当量の堆積物があると見込み、それを取り除くため、2月初旬から、井戸の上に3本の木で支柱を組み、バケツにロープを結わえ、滑車で引き揚げる装置を準備してきた。
たまっていた水をポンプでくみ上げた後、はしごで堆積物がたっぷりとたまった井戸の底へ降り、バケツの中に落ち葉や腐葉土、岩塊や泥などを入れて、引き揚げては捨てる作業を繰り返した。
作業開始から約3時間後、深さ約3・5メートル地点で同城跡ゆかりのものと思われる瓦を発見。さらにその1時間半後、最深部の約4・5メートル付近から木簡や木の加工品が見つかった。
「木片が出てきた。文字が書いてあるぞ」。現場はにわかに湧き立った。
村上会長は、「木簡が出てきたのには驚いた。地域の方々の歴史的関心が高まることを期待したい」と話し、「城の石垣が傷むので、いっぺんに大勢の人に来て、とは言えないが、歴史好きや山城ファンが集う場所にしたい。子どもの学習資源として活用してもらいたいし、地域のシンボルとなるよう整備を進めていきたい」と力を込めた。