今年度の医師国家試験の合格発表がこのほどあり、南アフリカ出身で、兵庫県立丹波医療センター(同県丹波市氷上町)診療助手のノエル・ハウザーさん(38)が、見事合格した。母国では麻酔科医。古武術への興味を入り口に来日し、日本で過ごすうちに日本の医療に興味を持ち、猛勉強の末、日本の医師免許を取得した。秋田穂束院長(70)ら先輩医師に祝福されたノエルさんは、「温かい気持ちになった。この病院で助手をしつつ学ばさせてもらっていなかったら、絶対に合格できていなかった。ここに来られたことが奇跡」と顔を紅潮させて喜びを語り、「一生の運を使い果たした」とおどけた。4月から同病院で2年間の初期研修に入る。
母国では麻酔科専門医
2014年8月に同豊岡市の外国語指導助手(ALT)として来日するまで、ヨハネスブルグ郊外の病院で麻酔科専門医として働いていた(医師免許取得は07年)。医学とは別の関心事が、大学時代に出合った琉球古武術。稽古を14年続けるうちに日本への憧れが募り、1年のつもりで来日。豊岡市で暮らし、さらに日本に引かれた。
ボランティアで英会話教室を開いていた公立豊岡病院(同市)に出入りするうちに、日本の医療現場で医師として働きたい気持ちが湧いた。同病院関係者から紹介された秋田院長の招きで17年7月に丹波市に。外国人患者の通訳のほか、医師の学会発表や論文執筆に役立つ英語指導の業務の傍ら、医学生同様に、病棟回診への同行や外来見学、症例検討会への参加が許され、実地で学んだ。
来日からわずか1年半で日本語能力試験N1を取得。日本語に熟達していても医学用語は極めて難しく、「読むのにすごく時間がかかった。脳が、『ABCじゃない』と漢字に抵抗していた」。
母国と異なる医療制度、公衆衛生。「向こうではHIVや結核の感染症、銃で撃たれたり、ナイフで刺されたり、若い患者が多かった。こちらではがんや心疾患などが多く、高齢者が多い点も全然違った」とゼロからの出発だった。
漢字に苦労も「挑戦楽しい」
国試合格への道は、受験資格を得るための書類作りから始まった。医学書のような分厚い書類の束を母国から取り寄せ、全て自力で日本語に翻訳。厚生労働省が求める書類と、出身大学が発行する書類がかみ合わず、書類を整えるのに2年かかった。
書類を整え、診察に十分な日本語の力があるかを調べる「日本語診療能力調査」を受験、一発合格し「認定制度」で受験資格を得た。模擬患者を相手に問診し、診察し、診断をつけ、治療方針を伝え、カルテに日本語だけで書き込む。様子は録画され、目を光らせている調査委員に「すごく緊張した」。昨年は受験資格取得で力尽き、国試は惨敗。今年こそと合格を期し、過去問題を解き、ビデオ講座を受講し、何度も模試に挑んだ。「新型コロナウイルスの流行で、家に閉じこもる理由ができた。あんなに膨大な量を勉強したのは初めてだった」としみじみ。特に、皮膚科と眼科の病名は「漢字がずらっと並んでいて苦労した」。それでも知らないことを学び、挑戦するのは楽しかった。
2月の国家試験は、「どの模試より難しかった」。試験問題は日本人と同じ。昨年は問題を読むのに追われて考える時間が足りず、回答の選択肢の中に読めない漢字もあったが、成長した今年は最後まで「汗まみれになって」クリアした。
「あの難しい試験に合格した人が医師になっているんだから、みんなすごい。南アフリカとはレベルが違う。比べ物にならないよ」と笑う。
「英語を教えながらでは何年かかっても、日本語診療能力調査が突破できなかったと思う。病院で学ばせてくれた秋田院長のおかげ。院長の『この病院でぜひ医師として働いて下さい』の言葉が励みになった。母国の母は『誇りに思う』と言ってくれた」と、目尻にうっすら涙を浮かべた。
山に抱かれているような、日本の田舎の雰囲気が好き。日本では麻酔科でなく、別の診療科に進みたいと考えている。「幅広く患者さんを診たい。地域医療、家庭医療に興味があります。今はね」とほほ笑んだ。
医師国家試験の合格率は91・4%。医学部新卒の合格率は94・4%、既卒は54・5%と、既卒となると、日本人でも難しい。
医師国家試験受験資格認定制度で国試を受験した139人中、合格は69人で合格率は49・6%。
秋田院長は、「英語ができるノエルさんが来てくれたら、若い医師の勉強になり、学べる病院の魅力が増すと考えた。礼儀正しく、非常に熱心に学ぶ努力家なので、彼なら合格できると思っていた。スタッフにも愛され、みんながわがことのように喜んでいる。医師として、長く丹波市で働いてもらえればうれしい」とほほ笑む。
厚労省試験免許室によると、受験資格認定制度で国試を合格した人の中には、外国の医学部を卒業した日本人を一定数含んでいる。「中国、韓国の医師免許を持つ人が多い。南アフリカは、受験した人すら聞いたことがない。極めてまれだろう」としている。