「飼育当番なんやけど、何か野菜ないん―」。記者が小学4年時、校庭の飼育小屋で飼っていたウサギとニワトリに餌を与える「飼育当番」があった。いわゆる「いきもの係」だ。親から渡された野菜の端切れを持って、いそいそと登校した記憶がある。兵庫県丹波市内の小学校に足を運ぶ仕事柄、ここ最近、どの学校でも小動物の姿を見かけないことに気付いた。調べてみると、市内では1校を除き、諸事情で飼われていないことが分かった。唯一、飼われていたのは、なんと「クジャク」―。なぜ、小動物たちは姿を消したのか。そして、クジャクのルーツは? そこには意外と深い歴史とドラマがあった―。
鳥インフル機に動物飼育は減少
市内22校全てに問い合わせると、屋外の飼育小屋で飼われている小動物は市立黒井小のみ。直近では、別の1校でウサギが飼われていたが、今年3月に長寿を全うした。
複数の学校関係者によると、ニワトリなど鳥類の飼育が下火になったのは、鳥インフルエンザが流行した2000年代中ごろ。人への感染はまれとされるが、当時は万一を考え児童に世話をさせず、教師が対応したという。情操教育の一環にと飼われた小動物を、肝心の児童が世話できないとあっては目的を果たせない。流行後は新たにニワトリを補充せず、次第に数を減らしていった。
一度の出産で多くの子を産むウサギは、数が増えやすく世話に手間がかかる一方で、突然、病気がまん延して命を落とすケースもあったという。
小動物に触れ合うことで命の大切さを学んだり、心の安定につながったりする児童もおり、どの学校も大切に小動物を育ててきたものの、近年は児童たちの習い事が多様化。特に長期休みは「児童を家庭に返す期間」でもあり、当番を組むことができない。教師も業務改善による閉庁期間には世話を十分に行えず、連続した飼育が難しい状況になっていた。
誰かが寄贈?卒業生たどる
このような状況下で、黒井小のクジャクは稀有な存在。現在は2年生が世話を担当し、学校が用意した市販の餌や水やり、小屋内の掃除を行う。美しい羽を広げる雄は「パタ」、チョコレート色の羽が特徴の雌は「チョコ」という名で親しまれている。
この2羽は、いったいいつ、どこから来たのか。同小の歴代校長が書く沿革史にも詳細は記されていない。同小出身者を年代順に下って聞いてみたところ、50、60歳代辺りの人が「そういえば、いたような」という回答。80歳代、70歳代は、「おらんかったと思う」。ちなみに、同小近くで暮らす男性(82)に尋ねると、「戦後すぐの食糧難の時代、クジャクなんかおったら食べとるで」と笑われた。
そこで60歳代より若い世代に聞いてみた。卒業生で、6年時には児童会長を務めた林時彦市長(67)に聞いてみると、「おったら覚えとると思う」と芳しくない。同級生を紹介してもらい、連絡を取ったが、なんせ半世紀ほど前の話。「いたような、いなかったような」というグレーな回答が相次いだ。
悶々としていたところ、耳寄りな情報がもたらされた。「地元の近藤鉄工所が飼育小屋を作ったみたいやで」
今は鉄工所を閉業し、趣味の竹細工を楽しむ近藤忠勝さん(85)を訪ねると、「懐かしい話やね。確かに作りましたよ」とにんまり。忠勝さんと妻・喜代美さん(79)によると、1980年(昭和55)、すでに同小にクジャクがいたが、専用の小屋がなかったという。当時、喜代美さんは育友会(PTA)の役員を務めており、廃品回収の収益で小屋を建てようという話題が持ち上がっていた。
そこで忠勝さんが父の故・一雄さんと一肌脱ぐことに。鉄工所で加工した鉄骨を校庭に運び、組み上げたという。同小は近藤さんを招き、児童たちの前で感謝状を贈った。「確か新聞の取材を受けましたよ」
さっそく当時の新聞を繰ってみると、あった。同年5月15日付の本紙に、「大きく“はばたけ” 児童の願いが実現 黒井小にクジャク小屋」という見出しが躍っている。
記事によると、同小にはクジャク3羽がおり、かつてウサギや小鳥がいた小屋で飼育したものの、狭い上にチャボとの同居。2メートルあまりの羽を広げる雄の羽毛の先が切れ落ちている有様だったとある。
新居に移ったクジャクは、広くなった小屋を歩き回り、さっそく雄が美しい羽を広げて求愛ダンスをしていたと書かれている。
忠勝さんは感謝状を受けた際、「クジャクのように、ひときわ引き立つ黒井小にしてください」と児童に伝えている。
クジャクのルーツについて、同じ記事に記載があった。クジャクが来る前、同小ではウサギを飼っていたが、野犬にかみ殺されたという。悲しんでいる児童のため、同町内の安達宗弘さんが雄1羽をプレゼントしたと記載。その後、丹波篠山市の男性から「お嫁さんに」と雌2羽が贈られたとある。
安達さん(74)を訪ねると、大変な愛鳥家で、かつては金鶏や銀鶏など多種類の鳥類を、多い時で50―60羽飼っていたという。クジャクも数羽飼育し、孵化に成功していたこともあって同小に寄贈した。
「寄贈したのは小屋ができる数年前だと思うが、はっきり覚えていない。以来、クジャクはずっと黒井小にいる。代々飼ってもらってうれしいですね」と笑顔をはじけさせた。
寄贈の背景に優しさと結びつき
どうやら、四十数年前に安達さんらが寄贈した計3羽が、同小の「初代」のようだ。ルーツをひもとくと、児童を思う住民の優しさがあり、地域の結びつきがあった。
一般的に寿命は20年ほどとされるクジャク。その後、市内のクジャクと交配したり、逃亡して行方不明になると、悲しむ子どもたちのために新たなクジャクをもらい受けたりしてきた。
元校長の男性(76)は、「世話をする児童や、クジャクも代替わりはしているけれど、命をつなぐのはすごいこと」と話す。
「クジャクのいる学校」とも覚えて
現在、2年生27人がクジャクの世話を担当している。女児は、「羽を広げるときれい。でも、大きいからちょっと怖い」と笑顔。谷口千尋校長は、「大切に育てているクジャクがいることで、児童と地域住民、勤務経験がある先生など、多くの人とつながりができることがうれしい。“クジャクのいる学校”としても覚えてもらえれば」と話している。
代替わりしつつも40年以上に渡ってクジャクが飼育されているのは、地域住民や教職員が児童を思う優しさがあってこそ。コロナ禍にあって“つながり”が感じられる取材に、心が温まった。