本紙掲載中「語り継ぐ戦争の記憶」に登場した松木克己さん(91)=兵庫県丹波篠山市住山=の記事を読んだ梶谷寛さん(88)=同市大沢新=が自宅で、松木さんの長兄・正義さんが、松木さんと父・重太郎さんに宛てたはがきを見つけた。正義さんは1945年5月にフィリピンで戦死、遺骨は戻らなかった。梶谷さんは、はがきを松木さんに手渡し、戦争の話や昔話で盛り上がった。
梶谷さんは王地山焼や三田焼のほか、古物を集めるのが趣味で、いつか役に立つだろうと、古市地区のことが書かれた古い文書などを保存。その中にあった、正義さんが作製していた戦前の新聞の切り抜き集に、はがきが挟まっていた。
1942年の消印がある、砲兵部隊にいた姫路市から出したはがきには、夏休みが終わり、新学期を迎える松木さんに勉学に励んでほしいなどと書かれていた。
梶谷さんは、憲兵だった自身の父が、住山に焼夷弾が落ちた時に、憲兵曹長とサイドカーに乗って現場に向かったことや、機銃掃射で田んぼの水が跳ねるのを見て、「よう自分が撃たれなかったなあ、と思った」などと振り返った。
造園業を営んでいた松木さんは、梶谷さん宅の近くのブロック塀を造った記憶があることや、その時にいた3歳違いの梶谷さんの存在をなんとなく思い出したことなど、話を弾ませていた。
「長生きして良かった」と松木さん。互いに「新聞が縁で出会えてうれしい」と喜んだ。