ペンと猟銃の二刀流で
静まり返った山の中、意識を研ぎ澄ます。無線機から「行ったぞ」―。ガサガサと草木をかき分ける音。犬の鳴き声。けもの道から躍り出てきたシカに銃口を向ける。「こんなに当たらんもんか」。67歳の“新人猟師”が破顔する。
1975年、技術職として毎日新聞社に入社。2005年、「違う世界を見てみたい」と53歳で記者になった。同期は若者ばかりだったが、「我以外皆我師」の精神で飛び込んだ。
阪神、姫路支局で事件、事故や選挙、街ネタを書き、09年、丹波通信部へ赴任。丹波市豪雨災害や丹波篠山市の市名変更など、市史に残る出来事の数々にも立ち会った。
定年後の再任用も終わり、丹波を去るかと思いきや、丹波篠山市に居を構えた。「住みやすくて、おいしい食べ物もたくさん。飲み友だちもいるので」とにっこり。雪道で車が立ち往生した時、トラクターで助けてもらったこともあり、「人の温かさも大きい」とほほ笑む。
もう一つの理由が猟師だ。友人から猟師を勧められて好奇心に火が付き、昨年、狩猟免許を取得した。「猟に出ると地元の人から、『何とかしてほしい』と懇願され、地域のためになる活動だと実感しています」
シカを仕留めた経験は、自身にも大きな影響を与えており、「誰かが動物を処理してくれているから肉を食べられる。命を頂いていることを感じていますね」。
同社との雇用関係はなくなったが、特約通信員として月に数本は記事を書いている。「喜んでもらえる記事を書き、猟友会の足手まといにならないようにがんばります」。ラガーマンでもあり、丹波を舞台に、まだまだ走り続ける。