道開いた「続ける才能」
「ヘビーメタル出身だけど、何でも弾けちゃうギタリスト」。家入レオ、加藤ミリヤ、Crystal Kay、Cocco、コブクロをはじめ、数えきれないほど多くのアーチストをサポートしてきた。新型コロナウイルス感染拡大の前に、10年間暮らした東京都心からUターンした。インターネット経由で音源を納品。呼ばれれば東京に演奏に出掛ける。地元でギター教室も始めた。
プロの仕事は、1曲いくら、1ステージいくらの請け負い。「そこの音を何キロヘルツ削って」「1980年代のエリック・クラプトンの音で」と、その場で注文に応えられなければ、お払い箱だ。業界内のつながりで仕事が入る。「ジャンルごとに『畑』がある。ロック系ならこのエンジニアで、ギターは誰、ベースは誰、ドラムは誰、と大体決まっていて、いくつかの『畑』から声がかかる」
ロサンゼルスへのギター留学から戻った20歳で、うまいだけではプロになれないと気付き、作曲、編曲を学んだ。ギターで飯が食えるようになった30歳から3年間、改めて指導者につき、ジャズやファンク、音楽理論など弱点を克服した上で上京、人脈と現在の地位を築いた。
「自分はトッププロの中では中の下。自分にあったのは、続ける才能。それが一番難しい。音楽は正解がなく、善しあしはお客さんが決める。僕の中での正解は、『かっこいい』。一番かっこいいと思う職業に就きたかった」
和田中1年生の時に同級生に「X」のコピーバンドを組もうと誘われたのが全ての始まり。新聞配達でためたお金でギターを買った。以来、音楽の熱にうなされ続けている。44歳。