兵庫県丹波市氷上町三方の常照寺(山口仙生住職)で10日、新たに建て直した観音堂の落慶法要と、観音堂新築に合わせて修復した、江戸時代中期のものとみられる三十三体の観音像の開眼法要が営まれた。取れていた腕や法具を元通りにし、金箔が貼られた往時の輝きを取り戻した仏像は、大阪心斎橋界隈の商人らが寄進した記録があるが、詳細は不明。寄進者の末裔に見てもらいたいと、手掛かりを探している。
修復前の観音像は、奥まった所にまつられており、存在を知らない檀家が多かった。観音堂建て替えのために片付けを進めていた2018年6月、山口住職(57)が仏像の中に紛れていた位牌を見つけた。位牌には「安永四年(1775)」とあり、「世話人嶋之内地蔵講」などと記されていた。「嶋之内」は、現在も「島之内」として大阪市中央区心斎橋筋付近に残る地名というところまで突き止めた。位牌に収められていた寄進者の連名帳には、「播磨屋」「紀伊國屋」といった商人の屋号と共に「畳屋町」「惣右ヱ門町」といった地名が多く残されている。
11年に観音堂修復費用約4500万円の積み立てを檀家が始めた後で、仏像の修復が持ち上がり、積み立てとは別に檀家から篤志を約700万円募り、姫路市の業者が4年余りをかけ修復した。破損が著しい3体は新造した。
本堂でまつっていた釈迦像を観音堂に移し、祭壇に釈迦像を中心に、三十三観音をまつった。
また、観音堂の欄間に、旧本堂にあった、宝永2年(1705)の銘がある木彫りの龍や鳳凰を収めた。
建築委員長の二森英彦寺総代(79)は、「檀家の皆さんの協力のおかげ。感謝したい。250年前の仏像寄進者の関係者にも、地元檀家の手で輝きを取り戻した仏像を見てもらいたい。何とか手掛かりを探したい」と言う。山口住職は「ここ2、3年、観音講ができていないが、またしっかりまつっていきたい」と話している。