丹波新聞社では住民のさまざまな疑問を調べて解決する「調べてくり探(たん)」を展開しています。今回は、兵庫県丹波篠山市在住の男性からの依頼。「昔、先生が『教科書の○ペーシを開いて』と言われていました。当時は、『ページ』のことを『ペーシ』と言うこともあるのかな?と思っていたのですが、最近、市議会で、『議案書○ペーシ』と言う市の職員さんがおられました。久しぶりに『ペーシ』を聞き、ふと、市外ではあまり聞いたことがない気がするので方言なのか?と感じました。どうなんでしょうか?」―。
市議会担当の記者も、以前から「ペーシ」は気になっていたが、それほど気に留めていなかった。まずは、ペーシ発言をした市の部長に確認。「今日の議会での答弁についてですが」と切り出すと、「え、何かおかしいところありました?」と返ってきたため、「ページのことをペーシとおっしゃられましたね」と真面目な顔で問う。しばらく間があり、苦笑いを浮かべながら、「言われてみると確かに。なんでやろ?」―。
続いてインターネットで調べてみると、「関西弁の一つ」という書き込みがあったが、個人の見解のようで不確かだ。そこで、関西弁の研究者を探した。
奇妙な依頼に快く協力していただいたのは、言語学者で「関西弁講義」(講談社)などの著書がある北海道大学名誉教授、現在はタイのモンクット王ラカバン工科大学教授の山下好孝さん(65)。尋ねた質問は、「なぜ、濁音(ジ)を清音化(シ)するのか」「関西に限ったことなのか」など。
京都出身の山下さんも、「僕の小学校の担任もそういうふうに発言されていましたね」と回想。ただし、「関西弁」ではないようだ。
山下さんによると、1点目のポイントは「ジ」「シ」が語尾にあること。「音声学的には、語尾の位置では声帯振動が起こらず、濁音が清音になることがあるんです」
例としてドイツ語では、「Rat(アドバイスの意味)」と「Rad(車輪の意味)」は全く同じ発音。これは「世界的な言語現象」だという。まさか、ペーシが世界的な視点の話題になるとは思ってもみなかった。
さらに「私の直感ですが」と断った上で山下さんが2点目のポイントを上げた。「日本語の中では一つの単語の中に濁音や半濁音(ペなど○付き)を2つも3つも入れたくないという伝統があるのではないでしょうか」。言われてみると、ベッド(寝具)を「ベット」、バッグ(かばん)を「バック」と言ったりする。
言葉には声帯を振動させる「有声音」(あいうえおの母音やb、g、mなど)と、声帯を振動させず、息を吐くような「無声音」(p、t、k、f)がある。英語で単語を複数形にする際、語尾に有声音が来ると「ズ」、無声音が来ると「ス」になる。
ところが日本では複数形が本来「ズ」なのに、「ス」にしてしまうことがあるという。例に挙げたのがプロ野球のチーム。「タイガース」「イーグルス」は本来、「タイガーズ」「イーグルズ」が正しいが、濁音が1つに変えられている。「ベイスターズ」は2つあるように思うが、「ベイ」と「スターズ」に分けられるため2単語だ。
問題は「バファローズ」と「ドラゴンズ」。バファローズは、「実際は『バッファローズ』と『っ=促音』を入れて発音しているのではないでしょうか。そうなると、『バッファ・ローズ』と2つの単語のようになる。もし『っ』を入れなければ、『バファロース』。そんなに違和感がないように思います」。
ドラゴンズは、「語尾に『ン=撥音』があります。『三寸(さんずん)』や、『三階(さんがい)』のように、『ン』があると後ろの音は濁音化しやすい」。
少し頭がショートしかけてきたが、まとめると、すべてがすべてではないものの、①単語の語尾は清音化しやすい②日本人は1単語の中にいくつも濁音や半濁音があることを避ける傾向がある―ということのようだ。
ここでもう一つ疑問がわく。少なくとも記者(30代)は、「ペーシ」とは言わないし、同世代でも聞いたことがない。年代は関係があるのだろうか。
「外国語を勉強した若い世代は濁音や半濁音が混ざった単語を発音できます。そして、年上の世代のほうが日本語の伝統に対して保守的。なので、レモンティーを『レモンチー』。ディーゼルを『ジーゼル』と発音するのかなと思います」。なるほどだ。
改めて最初に登場した市の部長(50代)の答弁を聞き直すと、ペーシとページが混在していることに気づく。部長は、「ペーシと言う先輩の下で仕事してきたからかな?」。ページと発音できる自分と、周囲の環境に慣れた自分がせめぎあっているのかもしれないと思うと、なんだか面白い。
山下さんは、「われわれは方言の中に特別なものを探しがちですが、実は言語の世界では自然なことであったりします」と話す。
依頼者の男性は、「難しい部分もあるけれど、なんとなく分かったし、面白い」と笑い、「言葉の不思議さ、世界的なつながりを感じさせられた」と話していた。