兵庫県丹波市市島町上垣の食事処兼居酒屋「おばちゃんの店」が今月11日、11カ月ぶりに営業を再開した。店を切り盛りする“おばちゃん”こと、店主の藤田洋子さん(74)が、脳梗塞と大腿骨骨折でおよそ8カ月の入院・リハビリから復帰、軽度のまひが手足に残るため、友人・知人に調理、お運びを手伝ってもらいながら再開。“おばちゃん”は、「病気前よりよく回るようになった口で接客、商売する」と意気込んでいる。
昨年3月15日の夜から明け方に脳梗塞を発症。寝る前に薬を飲むのに持ったコップが何度も手から滑り落ちた。早朝に目覚めた際に体の異変を感じ、スマートフォンで同居する家族に助けを求め、県立丹波医療センターの脳神経外科で緊急手術を受けた。「店を開けたい」一念で、兵庫医科大学ささやま医療センターでリハビリに励んだ。構音障害は回復。左半身にまひが少し残りながらも、杖なしで歩けるまでに回復し、3カ月余りで退院した。
ところが、回復した姿をかかりつけ医に見せに行った帰り、2段しかない自宅玄関前の階段で転び、左足大腿骨を骨折した。まひのない右足から踏み出して上るところを、まひが残る左足から踏み出し、体を支えきれなかった。退院わずか3日で病院に戻り、再び3カ月入院した。
脳梗塞発症時はなかった激痛が骨折時にあり、心の支えにしていた営業再開が遠のいたショックとあいまって「もう、無理」と諦める気持ちが脳裏をかすめた。しかし、「ごんべ(強気などを意味する方言)の私が痛くて4、5回泣いた」というきついリハビリを家族の支えで乗り越え、杖をつけば1人で歩けるまで回復。しかし、退院すると、移動が楽な車いすが手放せなくなった。
「このまま家にいては、車いす生活に慣れてしまい、店に戻れない」と危機感を抱き、3度目のリハビリ入院。期待していた劇的改善には至らず、坐骨神経痛が出た。それでも注射で痛みを抑えれば、つたい歩きで店内を歩き、レジ前に座って接客ができると、営業再開を決めた。
スマホの電話帳から、力を貸してくれそうな人に声を掛け、40年来の友人、元ご近所さん、娘の同級生ら手伝いを見つけ、再開にこぎ着けた。
料理が以前のように手早くできないため、板場に任せ、昼食はバイキングに変えた。人気の唐揚げなど、料理人に味付けを教え「変わらぬ、おばちゃんの味」を提供する。夜は酒肴を用意し、市島地域では数少ない「飲み屋」として、地域の酒好きにつどいの場を提供する。
「『人を助け、自分も助かる』をモットーに生きてきた。たくさんの人の助けで戻って来れた」と、人の縁に感謝する。「お客さんと話をするのが好き。前の店から30年続けている飲食業が、私の生きがい。口がアカンかったらさっぱりやけど、リハビリの成果で口は前よりよう回るくらいや。お腹いっぱい食べてや。夜も頼むで」と、〝おばちゃん節〟を響かせた。
長男の譲司さん(55)は、「本人の再開したい気持ちだけで周りの人に迷惑をかけたらあかん、という思いがあった。皆さんのお陰で環境が整った」と、悩んだ家族の心境を吐露。「母はもうけじゃなく、地域に貢献したいと思っている。家にいるタイプやないので、店でまたお客さんにかわいがってもらえれば」と応援している。