自室に17年間、引きこもった経験がある糸井博明さん(48)=兵庫県丹波市、京都府宮津市出身=が、4月から障がい者通所施設の就労継続支援B型「たんば園」(同町柏原)で生活支援員として勤務している。精神科の閉鎖病棟に入院し、統合失調症と診断された過去がある糸井さん。「自分を支えてくれた人がいたように、必要としてくれる人の支えになりたい」と志し、縁あった同施設で精神保健福祉士や社会福祉士の資格取得を目指し、日々の仕事に励んでいる。「気配りができたり、相手の気持ちを受け止めたりできる相談員になりたい」と話している。
自動車部品を製造する利用者の作業を見守り、進捗を確認したり、製品の重量をチェックしたりするのが主な業務。今後、日常生活の介助や、行事運営にも取り組む。
14歳(中学2年)から31歳まで引きこもり、自室から出ることはほぼなかった。家族ともコミュニケーションは取れず、テレビだけが社会との接点だったという。「浦島太郎のような状態だった」(糸井さん)
理由は家族の不仲。特に祖母と父の仲が悪く、怒鳴り合う姿を何度も目撃し、おびえるような生活だった。自身の学力不振もあって自信を無くしたこともあり、人と接することを拒むようになったと振り返る。
長く引きこもったことで体調は悪化し、歯もボロボロになった。ある日、多くの歯が欠けている状態を示す絵を描き、周りを血で染めた。これをある弁護士に郵送することで、自分が生きた証しを残そうと思い立ち、勇気を出して夜中にそっと自室を出てポストに投函した。
この絵がきっかけになり、精神科がある病院に情報が届いたようで、8カ月間の入院生活を送った。統合失調症と診断され、一時は二重の鍵がかかる閉鎖病棟で過ごした。
「このままでは駄目だ。自由になりたい」―。その強い思いが、外で生活する意欲に結びついていったと話す。退院後は地元の作業所で紙の弁当箱を作る作業をしたり、豆腐製造などの仕事に汗を流したりした。郵便局には9年間勤めた。
作業所にいた頃、通っていた障がい者生活支援センターの生活相談員との出会いが転機になった。取得したい資格や就労について相談を何度も重ね、「傾聴してくれた。やる気を引き出してくれて、話すうちに自分の中で答えが見つかっていった」と語る。ここでの体験が、福祉の道を志すきっかけになったという。
この間、通信制の京都美山高校を卒業し、41歳の時に佛教大学社会福祉学部の通信制に入学。郵便局で働きながら昨年9月、7年半かけて卒業した。
就職活動に精を出す中で、たどり着いたのがたんば園。足立一志施設長は「さまざまなサービスを享受する側から提供する側へ回る、そのチャレンジに応えたいと思った」と語る。
糸井さんは、自身の性格を「お人好しの、おせっかいのあまのじゃく。褒められると何か疑ってしまうし、駄目と言われれば挑戦したくなる」と笑う。日々の仕事は「メモをいっぱい取りながら、一生懸命励んでいます」とほほ笑む。
引きこもっていた頃は会話がなかった母とは、現在は何でも話す仲に。心残りは、立ち直った自分を見せる前に、父が亡くなったことという。「その分、母をいろんな所に連れ回して旅行に行ったりしています」
現在、半生をつづった自分史を製作しており、秋の出版を目指している。「自分の経験を美談にはしたくないが、私の経験を見下してもらってもいいし、反発するきっかけにしてくれてもいい。どんな状態でも、人生を諦めてほしくない。『一緒に生きてみませんか』と伝えることができれば」と話している。