プロ野球選手として29年間活躍し、引退後は監督として福岡ソフトバンクホークスを3度のリーグ優勝、5度の日本一に導いた工藤公康さんの講演会(中兵庫信用金庫主催)が、兵庫県丹波市の丹波の森公苑であった。約500人の来場者を前に、若手時代に身に付けた他人と比べない精神や、監督時代に重視した選手との対話など、野球人生で華々しい栄光をつかんだ思考と行動を説いた。
◆諦めていた若手時代 「1A」留学が転機に
プロ入り後の2年間は、選手の足や球の速さ、パワーの違いに圧倒された。自分と比較し、周りの選手のすごい部分ばかりが見えてしまい、「トレードに出され、終わっていくのでは」と半ば諦めていたという。
3年目の夏、アメリカのマイナーリーグ・1A(シングルエー)に留学したのが転機に。年間契約の日本と違い、1Aは1週間、10日程度の短期契約で、結果が出なければ即”クビ”。クビになった直後の選手に話を聞くと、「自分には能力がある。たまたま結果が出なかっただけ」と、真剣に話したことに驚いた。
そこで「自分を信じることの大切さを学んだ」と言い、「卑下せず、自分にできる精いっぱいのことをしよう。他人がどれだけやろうが関係ない。誰よりも練習をしよう」と意識が切り替わった。キャッチボールなど「当たり前の練習を当たり前に続け」、他の選手が寝静まった時間にウェイトトレーニングやシャドウピッチングなどの練習を繰り返して自信がつき、4年目からは先発として活躍できるようになった。
◆監督として対話重視 「はい」以外を引き出す
監督就任当初は、「自分が選手の進むべき道を示してあげないといけない」という義務感があり、指導時は一人一人のことを知らないままに「こうした方が良い」と意見を押し付けてしまっていた。
しかし、「選手からの不信感につながるのでは」と危惧するようになり、接し方を変えた。「まずは選手を知ろう」と、普段、選手と練習を共にしているバッティングピッチャーら裏方と常に話すようにしたことで、選手の細かな状態を知れるようになった。
選手と対話する時間も多く取るようになった。「どう思う?」「どうしたら良いと思う?」と、選手から「はい」以外の返答を引き出せるような聞き方を意識した。対話から得られた方針に対する意見を尊重し、時には全て受け入れたこともあった。
「わがままを聞くわけではない。彼らの考えを聞き、互いが話して納得し、一番良い選択肢を取ろうというふうに変わった。一方通行ではコミュニケーションにはならない」と話した。
◆今なお挑戦続ける日々 「侍ジャパン」監督就任は?
現在は筑波大学大学院で、野球選手のけが予防について研究中。農業やDIYにもチャレンジしている。「知識や経験を積むことで見える世界がある。学びは世界を広げる。現状維持は後退。人生100年時代と言われる。何か楽しいことを一つでも見つけ、60、70代でも“現役”でいてほしい」と、来場者にエールを送った。
講演後には来場者から質問を受ける時間があった。「今後、侍ジャパンの監督になる可能性はある?」と質問が飛び、「チャンスがあれば。日本の野球の素晴らしさをもっと伝えていかなければいけない」と、含みを持たせた。
中兵庫信用金庫が主催する講演会は新型コロナウイルスの影響で4年ぶり。隔年ごとに、兵庫県の丹波、三田で、各界の著名人を招いている。
◆くどう・きみやす◆ 愛知県名古屋市出身。名古屋電気高校(現・愛工大名電高)卒業後、ドラフト6位で西武に入団した。ダイエー(現・ソフトバンク)、巨人、横浜を渡り歩き、主に先発として活躍。48歳で現役を引退した。通算成績は、635試合登板で224勝142敗3セーブ、防御率3・45。2度のMVPに輝き、4度の最優秀防御率など数々のタイトルも獲得した。2015年から21年まではソフトバンクの監督を務め、3度のリーグ優勝、5度の日本一に導いた。