趣味のものづくりを通じて、人生を豊かにし、人とのつながりを深めている人たちがいる。公務員を早期退職し、木工職人になった小谷本嘉人(よしと)さん(75)=兵庫県丹波篠山市今田町上小野原=は、器を中心に、掛け時計に置き時計、額縁、ブローチやボタンなどのアクセサリー類、大きなものではいすや机も手がけている。
作品は、自宅向かいに建てた「Koya工房」で展示・販売を行っているほか、ネット販売もしている。クリやサクラ、トチノキなどの広葉樹の材を使い、ノミの彫り痕をそのまま残した器は人気のアイテムだ。昨年の春には同町内の発達支援教育施設から知育教材の大量注文を受け、1年がたとうとしている現在も鋭意製作中だ。「仏壇の注文も入っています。木で作れるものなら何でも作っているという感じ」と笑う。
現役時代は同県伊丹市役所職員。早期退職し、57―61歳の4年間、同県丹波市柏原町の丹波年輪の里で工作指導員として務めた経歴を持つ。
地元の篠山鳳鳴高校を卒業後、役所に入庁。土木系の部署で、毎日、朝早くに自宅を出て、夜遅くまで働く日々を送った。「あの頃は、身も心もすり減らしていた。鬼の形相で仕事に向かう私の様子を見て、妻が心配するほどでしたから」と苦笑いする。
55歳。子どもが社会人となり手が離れた。「さあ、残りの人生は好きなことをするぞ」。やりたいことは決まっていた。
子どもの頃から工作が好きだった。それは大人になってからも変わらず、休日にはちょくちょく年輪の里へ出向き、木工を楽しんでいた。手ほどきをしてくれる工作指導員に「第二の人生は、あなたのような仕事がしたい」と話したこともあり、「技術が必要ですよ」と返されていた。木工職人になる―。この夢をかなえるため、家具作りが学べる京都府立福知山高等技術専門校への入学を目指した。
役所の激務をこなしながらの受験勉強。年2回、入学試験があったが、数学で満点を取るという条件をクリアできず、3度目の挑戦も不発。試験官から「小谷本さんの熱意は十分伝わっているのだけれども、数学を頑張ってもらわないことには」と言われる始末だった。
「こうなれば退路を断とう」。職場に「3月末で辞める」と退職宣言。自分を追い込んだ。背水の陣で臨んだ4度目の試験でついに合格を勝ち取った。56歳。定年を待たず、安定した公務員生活に別れを告げた。
「念願の学校に入学したものの周りは若者ばかり。50代は私だけ」。将来は不透明だったが、ただひたすらに木工職人となった自分の姿を想像しながら1年間、技術の習得に励んだ。
卒業間近のある日、年輪の里が工作指導員を求人。「なんというタイミング」と、すぐさま応募し、見事に憧れていたポジションを射止めた。以後4年間、同施設を訪れる利用者に木工の楽しさを伝えてきた。
「今年は以前から構想をあたためてきた掛け時計と小引き出しを、良い材料を使ってじっくりと作りたい」とほほ笑み、「木工職人といっても私の場合、小遣い稼ぎにしかなっていないけれど、それでも今は毎日が充実している。あれだけため込んでいたストレスも、今はなにもありません。早期退職に理解を示してくれた妻にも感謝ですね」