兵庫県丹波市春日町多田の故・近藤あき子さんの生家で、あき子さんの兄、悟さんが戦死したことを伝える戦友からの手紙2枚が見つかった。同じ陸軍中隊に所属した親しい軍人が戦地から届けたと思われる。手紙からは、命を賭する戦地に身を置きながら、悟さんの帰還を待つ家族を思う心優しさと、母国を守るために戦う勇ましさがにじむ。家を所有する近藤敏さん(63)=同県三田市=が盆に掃除をしていた際に見つけ、あき子さんの一人娘の荻野真澄さん(74)=春日町多田=に託した。
「中隊は同じ」「自分は分遣」「彼は〇〇へと出発」との記述があり、戦中に所属部隊が分かれたと推察できる。「入隊以来彼と歩調を合せ来た」という文からは親密さがうかがえ、「我が戦友を失ない残念でならないと共に大変淋しい日が続きました」と、別れを惜しんでいる。
文末には「如何なる難苦も踏破して日本帝国を護ります」「次期戦斗に備えて居ります」と、力強い誓いが書かれている。
悟さんは7人きょうだいの長男で、心優しく、みんなから頼りにされていたという。所属部隊などは不明だが、真澄さんは、悟さんが「あとは頼むぞ」と伝えて出征したことや、家に届いた箱の中に遺骨として石ころ一つが入っていたという当時の話を、あき子さんから聞いたことがあるという。
真澄さんは「待っていた母からすれば、どんなにうれしく、悲しい知らせだっただろう。送り主は、命がいつなくなるか分からないのに、心遣いのできる人間味のある人だったのでは」と話す。