避難所に響く叫び声 能登半島ルポ「激震の爪痕の中で」③【ふるさと新聞アワード最優秀賞受賞】

2024.02.22
地域

地震による地盤の隆起で海底が露出している=石川県輪島市で

激震と津波に襲われ、約3000棟が全壊した石川県珠洲市。地元の男性から、かつてこの町に原子力発電所を造る計画があったことを聞かされた。

調べてみると、確かに1975年以降、北陸、中部、関西電力各社が開発を計画している。反対の立場に立った男性によると、「賛成派と反対派で町がひっくり返った。みんなで市役所に座り込んだこともあったよ。機動隊が出てきたこともあったな」。選挙も巻き込んで是非が問われ続けた末、2003年に開発計画は凍結されている。

「もう昔のことだけどね。あのころ賛成していた人も、地震があってからは、『あの時反対してくれていて良かった』って」

東日本大震災に端を発した福島原発事故は、今も尾を引いている。歴史に「もし」はないが、「珠洲原発」があったと考えると、今回の地震でどうなっていたか。

恥ずかしながら裏側にある歴史は現場に来るまで知らなかった。改めて背景を知ることの重要さを学んだ。

◇   ◇

1月21日夕、珠洲市にある障がいのある人の多機能型事業所「さざなみ」を訪問。こちらもいち早く支援に入っていた丹波篠山市京町の岩下八司さん(74)が支援物資を届けるなどして、つながりをつくっている場所だ。

サービス管理責任者の山﨑伸一さんや、施設長の坂井千鶴子さんから話を聞くことができた。災害時、特に支援が必要な人の状況がどうだったかを尋ねるためだ。

地震後、小学校に避難した山﨑さんによると、避難者の中に認知症の人がおり、平時と異なる状況にパニックを起こす「せん妄」を発症。避難している人のかばんをつかみ、「私のだ」と言ったり、「殺される」と叫んだりしたという。

山﨑さんは、落ち着きを取り戻すよう一晩寝ずに付き添った。災害時、支援が必要な人を受け入れる「福祉避難所」の開設が計画されているため、市に受け入れを頼んだものの、「そちらで何とか対応を」と断られた。珠洲市では福祉避難所は開設できていなかった。避難所となる福祉施設も、運営する職員も被災していたためだ。

「これほどの災害が起きたら、事前に立てていた計画は役に立たないと分かった」(山﨑さん)。計画を実行に移すことがいかに困難か、改めて浮き彫りになった。

また、坂井さんによると、利用者の中にも金沢市などに移った人がおり、事業所としての存続を危惧する。「12月分の請求ができなかったし、1月はほぼ稼働していない。もともと1万1700人ほどしかいない町。この先どうなるか。事業所としては本当に厳しい」。災害は人々の生命だけでなく生業も直撃している。

物資を届け、話を聞いて回っているうちに夜のとばりが落ちた。市街地は、暗闇に包まれ、しんと静まり返っている。

車に荷物を取りに行き、道をふさいだ民家の残骸に視線を送っていると、近くで「ガラガラガラガラ」と轟音が響いた。

地震も起きていないのに、数十メートル先で崩れかかっていた民家の屋根が今まさに崩れ落ちた。災害が収まることなく続いていることを実感し、震えあがった。

◇   ◇

地震の影響で地面から隆起したマンホール=石川県輪島市で

22日早朝、輪島市に向かう。同市門前町にあり、丹波篠山市の福祉施設とつながりがある障がい者支援施設「あぎし」を訪問するためだ。

輪島への道のりはひたすら山道。途中、何度も斜面が崩落している現場に遭遇した。土砂が押し寄せ、片側通行になっている個所もあり、「今崩れてきたら」という不安感に襲われる。大規模な山崩れが起きている場所では、数軒の民家が土砂に流されている。辺りには警察や消防の車両が列をなし、捜索活動が行われていた。

門前町は、名の通り、かつての曹洞宗大本山「総持寺祖院」の門前町として栄え、今も古い町並みが残る。海辺の黒島地区は、北前船など海運業の拠点として発展し、丹波篠山市の城下町や福住地区と同じく重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。そんな町のあちこちで民家が倒壊した。

事前に「あぎし」からは、食料が弁当やインスタント食品ばかりで、生鮮食品が不足していると聞いており、丹波篠山市の農家に協力してもらって白菜や大根などの野菜を届けた。

また、同施設ではテレビが満足に見られず、「娯楽が少ない」という声があったことから、同行した防災士でシンガーソングライターの石田裕之さん(43)がミニコンサートも開催(後日詳報を掲載)。「ふるさと」や「上を向いて歩こう」、石川さゆりさんの「能登半島」などを歌い上げた。

利用者からは手拍子が起き、石田さんの手を取って「ありがとう」「また来てね」と喜びの声があふれた。

あるスタッフは、「いろいろ大変だけれど、たくさんの人から温かい声を頂き、本当にうれしい」と涙を流した。

自身も被災しながら、仕事をしないといけない。利用者を守らないといけない。そんな張り詰めていた心が、一瞬、ほぐれた瞬間だった。

あぎし近くの海辺は異様な光景だった。砂浜が波けしブロックまで続き、所々に奇岩が並ぶ。地震によって地盤が隆起し、今見えているのはかつての海底だった。

漁港は水が消え、船が出せる状態になかった。この隆起が津波を低く抑えたとも聞くが、目の前に地球レベルの変動があり、言葉を失うしかなかった。

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