昨年、創刊100周年を迎えた丹波新聞社は、記念事業の一つとして本「小島省斎伝」を制作した。江戸時代後期、柏原藩の儒学者として藩を支えた省斎は、教育の振興を図り、“教育の氷上郡”と言われる風土をつくる一方、幕末の動乱期に諸藩に先駆けて柏原藩を勤皇に導き、薩摩や長州の雄藩と共に活躍。その功績から柏原に国や県の出先機関が置かれるなど、氷上郡の礎をつくった。これからも語り継ぎたい地域の恩人を顕彰するのは、地方新聞社の役目として同書を制作した。希望者に無料で配布する。
「丹波人物志」「氷上郡志」などの著作がある郷土史家、松井拳堂が著わした省斎の伝記「兜山余芳」をベースに他の資料による史実も加えた。「兜山余芳」は大正11年(1922)の発行で、漢文調で書かれているため、読みやすい文章に改めた。著者は、丹波新聞社の荻野祐一会長。
省斎は文化元年(1804)、青垣町佐治の生まれ。京都に出て3年間、儒学を学んだ。柏原藩主に藩儒として重んじられ、藩政に関わった。教育の重要性を説き、藩校の「崇広館」を創建した。省斎の教えは、教育を大切にする風土を形成。明治時代になって氷上郡高等小学校や柏原中学校(現・柏原高校)、柏原高等女学校が他地域に先駆けて開校した。
勤王か佐幕か、各藩が去就に迷った幕末の動乱では、「勤皇こそ大義」と藩論を統一。旧幕府軍と新政府軍が戦った鳥羽伏見の戦いにも加わり、戦いの後、薩長の雄藩と共に山陰道鎮撫軍の一角をなした。
儒学者として学問の世界にとどまることなく実務面でも才覚を発揮。多額の借財を抱えていた柏原藩の財政を立て直した。阪鶴鉄道の開通に尽くした田艇吉ら多くの門弟を育てた。
省斎は、私欲に無頓着な高潔な人柄でも知られ、「丹波聖人」と仰がれた。「小島省斎伝」には、人間性を伝える省斎の語録も収録している。
同書は、丹波新聞社の初代社長、小田嘉市郎が地域貢献のために創設した氷上育英会から発行した。希望者は、丹波新聞社本社(丹波市柏原町柏原)に来社を。郵送希望者は本社に連絡を(送料は着払い)。


























