山里に花しょうぶ園
永澤寺住職 渡邊義弘さん (三田市在住)
(わたなべ・よしひろ) 1740年 (昭和15年) 青垣町栗住野生まれ。 旧姓飯田。 柏原高校、 駒沢大学仏教学部卒業。
永澤寺 (ようたくじ) の門前に広がる1万坪 (3万3千平方) の広大な敷地。 650種類約300万本の花しょうぶが咲き誇る。 三田市永沢寺 (えいたくじ) にある花しょうぶ園が見ごろ。
「昭和40年ごろは、 車も通らない寂しい場所でした。 青垣の兄 (故飯田泰仙前宝林寺住職) から古いスクーターをもらったのが珍しかった。 シーズンを中心に年間15万人が訪れる現在と比べると隔世の感を禁じ得ません」 と話す。
大学を卒業後、 修行を経て、 同寺住職の長女と結婚。 「曹洞宗の由緒あるお寺で知られていましたが、 建物の傷みがひどく、 『何とかせねば』 という気持ちとあわせ、 『これといった産業のない山里の村に、 活気を呼び起こしたい』 という思いが強くなりました」 と当時を振り返る。
檀家でもある永沢寺地区は、 わずか10戸。 「しょうぶ園を門前に計画してはどうかと村の人たちに持ちかけ、 区長らと一緒に伊豆の修善寺へ見学に行きました」
帰ってから県の専門家の指導を受けながら、 計画を練った。 まず、 苗を50万株、 1000万円で購入することにし、 そのうち国から70パーセントにあたる700万円の融資を受ける段取りになった。 ところが、 実印を押す段になると二の足を踏む人も出るなど紆余曲折を経て、 1975年 (昭和50年) 6月に開園にこぎつけた。
「開園しても人がくるだろうかと不安でしたが、 次から次へとやってくるようになり、 多いときで一日に4000人を数え、 大変なことになったと驚きました」 という。 「当時、 お寺が篠山口から来る国鉄バスの終点だったこともあり、 運転手や車掌と心安くしてもらったおかげで、 開園のPRにはお世話になりました」
四月には、 国内で初めての2対4躰の仁王尊像を開眼。 「近畿一円から大勢の人に浄財をいただきました。 索漠とした社会にお寺が少しでも人々の心の安らぎの場になるように」 との願いは強い。 「しょうぶ園にこられたら気軽に立ち寄ってください」
「年に一回は高校の同級生と旧交を温めています。 本音で語り合える友達を、 大事にしたいですね」
(臼井 学)