基幹産業の盛衰見る
元アドケムコ常務取締役 加賀山次郎さん (横浜市在住)
(かがやま・じろう) 1936年 (昭和11年) 柏原町生まれ。 柏原高、 京都大法学部卒。 日本鋼管 (現NKK) 入社。 87年、 アドケムコを立ち上げ、 88年より常務取締役。 今年6月同社顧問を退任。
昨年、 40余年にわたるビジネスの一線から退いた。 「達成感のある半生でした」 と振り返る。 「世の中を動かしている 『ファンダメンタルズ (根本)』 は何か」 を、 ずっと問い続け、 就職では国の基幹産業であった鉄鋼業を選んだ。
日本鋼管で人事・労務を担当し、 ホワイトカラーの省力化に腐心した。 「本当の意味でのリストラ (事業の再構築) でしたね」。 広島県福山製鉄所では、 製鉄の原料からエネルギーの電力にいたるまで、 生産調整の仕事を経験。 電力会社や県庁と折衝し、 「電力消費量は鳥取県全体より多いのに、 渇水がよくありましてね」 と、 頭の硬いお役所相手の苦労を語る。 1日8万トン、 日本全体の1割強の鉄鋼生産量を担っている、 という自負が支えていた。
当時、 日本の鉄鋼製品の洪水により米国の製鉄業はひん死の状態で、 次第に対日批判を強めていた。 「よく日本の実情も知らないで、 むやみに反日感情を掻き立てる」 と抗議の気持をもって米国への視察旅行の一員となったが、 帰国すると 「実は非難されても仕方がないほど日本は規制に守られた産業立国であることに気づきました」。
中途半端な公共投資がやたらに多い行政のいい加減さに義憤は感じても 「自爆するわけにはいかないでしょ。 相手の懐に飛び込んで、 無償コンサルタントとして民間の知恵とビジネスマインドを伝えてきたつもりです」。 今は、 町内会などで 「役所の腐敗の手伝いはするな」 と公共事業への警戒を訴える。
基幹産業の盛衰を見てきた。 80年代初めごろから、 「鉄鋼だけではやっていけない」 という危機感が日本全体を覆い、 会社は次々と他業種経営に乗り出す。 「不動産まで手を出して、 5、 60も新規事業を立ち上げましたが、 結局うまくいきませんでした」。 自身がかかわった化学会社アドケムコは数少ない生き残りのひとつという。
「故郷柏原は織田信長の一族最後の拠点。 氷上郡合併には賛成だが、 ぜひ 『柏原市』 としてほしい」
(上 高子)