豊中市助役 芦田英機(あしだひでき)さん

2003.09.07
たんばのひと

波乱万丈の役所人生
豊中市助役 芦田英機(あしだひでき)さん (豊中市在住)
 
1944年 (昭和19年) 舞鶴市生まれ。 吉見小、 篠山中、 柏原高、 神戸市外大卒。 豊中市政策推進部次長、 同部長、 京都女子大教授などを経て02年から豊中市助役。
 
 人口39万人の豊中市助役として、 活躍する。 「豊中株式会社の専務のようなもの」 とユーモアたっぷり。 市政ナンバー2として多忙な日々をおくる。
 京都府舞鶴市で生まれたが、 国鉄マンの父親の転勤で、 福知山線の駅を転々。 「至る所に同級生がいるのがうれしい」 と話す。  学費すべてアルバイトでまかないながら、 大学の英米学科を卒業。 すでに父を亡くし、 病気の母の面倒を見る必要があるということから、 転勤のない市役所に就職。 波乱万丈の役所人生のスタートでもあった。 「国際交流の仕事でも出来たらというくらいの動機でした」 と振り返る。 ところが、 入った部署は企画部企画課。 次に豊中商工会議所に派遣され、 「商業近代化豊中地域計画」 策定に参画した。 「市役所生活では味わえない経験をしました。 世の中の裏表を勉強しました」 という。
 1976年には、 「豊中方式」 と呼ばれる全国の自治体で初めて制定した「小売商業活動の調整に関する条例」 (スーパー条例) の素案づくりを手がけた。 このときあたりから、 まちづくりにかかわるようになり、 その後、 大学で講義するまでになった。  市民部商工課時代には、 大型小売店舗の 「出店調整」 や商工振興を担当。 「出店調整では、 市場の経営者から 『出店を止めるのが役所の仕事。 それができなかったら税金泥棒だ』 とののしられたこともあります」 と当時を思い起こす。 92年には、 初代まちづくり支援室長として、 「豊中市まちづくり条例」 も手がけた。
  「色々な付き合いのなかから、 行政を外から見てきたことを大事にしたい。 市民オンブズマン的立場で仕事を」 と意気込む。 「三田学園中との県大会予選で、 篠山城跡の堀に打球が飛び込む大ホームランを放ちました。 高校時代は生徒会長を2年間やりました」 と思い出をよみがえらせた。
(臼井 学)

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