大阪青山短大助教授 平谷拓男 (ひらたに たくお) さん

2003.12.11
たんばのひと

はつらつ第二の人生
大阪青山短大助教授 平谷拓男 (ひらたに たくお) さん (伊丹市在住)
 
1940年 (昭和15年) 生まれ。 氷上町出身。 柏原高校、 日本体育大卒。 宝塚高校、 氷上西高教頭、 伊丹市立高、 猪名川高校長などを経て現職。 日本リクリエーション協会インストラクターとして、 ニュースポーツも指導。
 
 短大で体育や健康科学概論を教える。 「講義時間の最初の20分くらいは、 高校教師時代の体験談を交えて話をします。 学生は興味を持ってくれているようです」 と持ち前の明るさで、 面白い退屈しない授業を心がける。  1963年大学を出てすぐ、 県立伊丹高校に16年間勤務したのち、 95年教頭として赴任したとき、 「お帰りなさい平谷先生」 という教え子たちによる投稿の特集が同窓会報に掲載された。 その一つに、 「『平谷先生の授業や教育実習で教えていただいたことがきっかけで、 養護教諭になった』 と書いてあった。 うれしかったですね」 と話す。 また、 「『体育祭の仮装行列で、 金太郎の腹巻をつけ、 生徒が作ったまさかりを持って男子生徒の騎馬にまたがり、 運動場を練り歩いた』 という文章も若い日の思い出としてなつかしく感じました」。 定年退職の時、 同校で最後の学級担任をした卒業生の有志が、 お祝い会をしてくれた。 その会場で生徒から金太郎の寄せ書きの入った当時の腹巻がプレゼントされた。 「うれしくて涙が止まりませんでした。 教師冥利に尽きる出来事」 とその光景を思い出す。  退職後、 現在勤務する短大と同系列の福祉保育専門学校に勤めたのが第2の人生の始まり。 「若い生徒にまじり、 母親の介護をするために学ぶという私と同年輩の学生もありました。 真剣に授業を受ける姿勢に感動し教えられました」 という。  授業の最初には必ず、 サムエル・ウルマンの 「青春」 を読む。 自分の体験から編み出した 「平谷語録」 などを使った授業も人気。 「困難校での想像を絶する生徒指導や定時制高校での社会人指導などが私を大きく成長させてくれた」 と振り返る。 「中・高時代は陸上競技に力を入れ、 体育教師を目指し努力しました。 何事もやり通す気持ちが大事」 と学生に語りかける。

(臼井 学)

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