日本高野連が、 高校野球の発展に寄与した指導者を各都道府県から1人選出して贈る、 「イヤー・オブ・ザ・コーチ」 表彰を受けた。 福知山商業高校 (現福知山成美高校) 野球部に監督、 部長として約30年間携わり、 府下屈指の強豪校の礎を築いた功績が称えられた。
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「昭和43年から63年まで、 監督を務めました。 野球に携わっている間は家庭を『捨てて』いたので、 妻が 『表彰で少しは報われた』 と言ってくれた。 しんどかったけど、 やってきてよかった、 と思っています」
「就任当時の野球部は2回戦止まりの実力でしたが、 初ミーティングで 『お前ら、 甲子園行くぞ』 と言いました。 笑い出す選手もいましたが、 こっちは本気でした。 やるとなったら没頭するタイプなんです。 それから毎日、 午後8時まで練習。 選手の気持ちが入っていない、 と感じると、 終電ぎりぎりの10時まで延長です。 ナイター設備もない時代ですから、 OBに車のライトでグラウンドを照らさせたこともありました」
「練習すれば、 結果は付いてきます。 就任から4年目で、 府大会の決勝戦に進出し、 それからは上位の常連になりました。 決勝戦にももう一度進みましたが、 結局、 甲子園には行けませんでした。 初出場したのは、 退職の翌年です。 2戦目を観戦して、 スタンドの大観衆に圧倒されました。 本当に感慨深かった」
「野球にかかわったことで、 他校の人や、 審判員の皆さんなど、 さまざまな人と出会わせてもらった。 一教員で終わるより今の自分にとってプラスになっていると思います」
「今も、 たまにグラウンドに行って練習をながめてます。 口は出しませんけど。 今年のチームは、 実力的には優勝もねらえる。 ただ一発勝負の世界ですから油断できません。 19日の初戦は行けませんが、 できるだけ見に行きたいですね」
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退任後に成績が低迷した際、 自校OBの起用を求める関係者を説得し、 他校出身の田所孝二現監督を招いた。 柔和な表情の裏にひそむ一途な情熱が、 同校野球部を育て上げた。 福知山女子高非常勤講師。 京都市出身。 春日町黒井。 66歳。
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