遠阪少女バレーボールクラブの監督を、 チーム結成時から務める。 小規模校の同チームを、 少女バレーの強豪に育てあげた。 2月6日には芦田小学校をメーン会場に、 結成と監督就任25周年の記念大会が開かれる。
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「姫路市内の中学校から転勤で故郷に戻ってきた時に、 息子の同級生の母親から 『男子の少年野球のように、 女子にも運動クラブを作りたい』 と相談を受けたのが、 監督を引き受けるきっかけになりました。 氷上郡にすでに、 チームがあり、 この地域に合っていると思い、 バレーボールのチームを作りました」
「当時から遠阪は、 郡内でも1番か2番目に児童数が少なく、 選手確保に毎年悩まされています。 少ない部員で、 体格も小さい。 でも、 よくねばる。 25年間で大エースと言えるような選手は1人か2人しかいないけれど、 氷上郡、 丹有、 県で活躍してこれたのは、 チームみんなのねばりがあったからこそ」
「チームのモットーの 『拾えボール』 の精神で、 いくら打たれても拾うのが遠阪バレーの身上。 『努力』 『根性』 はどこのチームにも負けないと思います」
「子どもは、 色んな可能性を持っている。 入部当初はサーブを空振りするような子どもが、 6年生になると、 アタックが打てるようになる。 分け隔てをせず、 一緒に練習をするので、 運動が苦手な子どもこそ入部してもらって、 一生懸命に取り組んでくれたら」
「私自身バレーボールの経験が少なく、 子どもと一緒に成長してこれたから、 これまで続けることができた。 子どもたちと接することで、 精神的に若くいられたな、 と感じる。 体が動き、 チームが続く限り指導を続けたい」
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1987年から90年まで、 ペプシカップ丹有大会で4連覇。 2002年にはペプシカップ県大会でベスト8入りを果たすなど、 輝かしい成績を収めてきた。 「できるのに、 やらない」 事を嫌い、 中途半端なプレーは、 厳しくしかる。 一方、 コートを離れると放任主義で、 子どもと一緒に遊ぶことをいとわない。 「こわくて温かい監督」。 部員と太いきずなで結ばれている。 青垣町徳畑。 59歳。
(T)