「80年前の丹波新聞」(第10回を4月23日号に掲載)、大正15年4月号をめくっていて、面白い記事に出会った。

2006.12.27
丹波春秋

「80年前の丹波新聞」(第10回を4月23日号に掲載)、大正15年4月号をめくっていて、面白い記事に出会った。「作楽坊」なる人の「花見の予備知識」という寄稿。▼川代や黒井新川の桜に触れる一方、桜の名の由来や種類、漢詩人や絵師に及び、並々ならぬ博識を披瀝している。そして清少納言が「枕草子」に「青き瓶の大きなるを据えて、桜のいみじく面白き枝の五尺ばかりなるを、いと多く挿したれば」などと書いているのを、「自我欲を満足せしめんとする心は烈しけれど、花木愛護の念に薄き女性なりしと見ゆ」と批判。▼「これに比ぶれば、賀茂宣平(のりひら)の歌ははるかに優雅にして、その人格の高きを窺はしむるものなり」と述べて、「惜からぬ枝しなければ山桜家苞(いえづと)にだに折りぞわづらふ」という歌を紹介している。「どの枝も惜しいねえ。たとえ家への土産と言っても、折るには悩むよ」。▼当時は男女を問わず「手(た)折る」のが風流とされた。「見るだけでは人と話ができないから家への土産に折っていこう」という歌さえ残されている。『時代の感性』を考える必要はあるにせよ、しかし賀茂宣平こそは現代人に近い。▼彼は賀茂神社の神官の血筋のようだが、ほとんど無名の人。その歌を引き出した作楽坊とは、何者だったのか。気になる。(E)

関連記事