秋の丹波は美しい。きらめくような自然の美にしばしば出会える。朝の営みを始めた村里をすっぽりと包み込んだ真っ白な霧の海、豊じょうな色模様を織り成す野山の紅葉。しかし、このような自然の美を、昔の人たちも今の私たちと同じような感性でながめていただろうか。そんな疑問がわく。▼というのも、自然という言葉を使い始めたのは、西洋から自然科学の思想が入った明治以降のこと。その影響で日本人の自然に対する態度は大きく変わった。▼自然は、人が支配し制御するものとなり、自分と異なったものとして認識の対象になった。これに対して自然という言葉がなかった時代は、人と自然の間には隔てがなく、人は自然に同化していた。この決定的な違いは陶芸にも表れているのではと、兵庫陶芸美術館で開催中の丹波焼展で感じた。▼800年の歴史がある丹波焼の変遷を紹介しているこの特別展で、とりわけ引き付けられたのは古い時代のものだった。時代が新しくなるにつれ、技術は磨かれ、完成度は高くなるが、心の芯に突き刺さるものは古い時代がまさった。無骨で未熟だが、生命力や存在感があった。▼自然に同化し、自然に即した暮らしの中から生み出された作品だからこその美しさだと思う。自然と一線を画した現代人との美意識の違いに思いが及んだ。(Y)