鐘ヶ坂峠に「明治のトンネル」が開通したのは120余年前のこと。その最大の功労者は柏原町生まれの田艇吉だった。艇吉には三つ違いの弟、健治郎がいた。2人の子ども時代に面白い逸話がある。▼2人が家の庭で遊んでいたとき、屋根裏に見つけたスズメを艇吉がはしごをかけて捕ろうとした。すると、いたずら心を起こした健治郎がはしごをはずして、艇吉を転落させた。▼逓信大臣や台湾総督を歴任し国政で活躍した健治郎に対して、艇吉は丹波地方の発展に心血を注いだ。明治のトンネルに続いて阪鶴鉄道の開通に尽くし、3代目の社長となった。舞鶴まで開通し、これからという矢先、鉄道国有法案が可決された。▼艇吉の思いもむなしく阪鶴鉄道は国有化され、国鉄福知山線に名前を改めた。法案の文案作成にあたったのは、鉄道サービスの統一化のためには国有化を決行すべきだと考えていた逓信次官、健治郎だった。子ども時代の逸話は、この巡り合わせを暗示していたのか。▼のちに健治郎は、明治のトンネルの碑文を依頼された。その石碑は今もトンネルのそばにあるが、石碑が朽ちていく歳月の流れに合わせて国鉄はJRに変わった。そして今日、新しい鐘ヶ坂トンネルが開通する。どんなに長いはしごをかけても届かない天上界にいる二人は、どんな思いでいるだろうか。(Y)