県立柏原病院の第6代院長に就任した酒井國安氏に、 苦境に立つ病院運営を担う覚悟を決めた胸の内や、 今後の決意を聞いた。
院長職を引き受けるにあたって気がかりだったのは、 開設時から担当してきた小児科が継続できるかどうかでした。 病院局が後任医師の派遣に最大限の努力をするということだったので、 酒井カラーの小児科から次の方へ世代交代ができると考え、 引き受けました。
柏原病院が困難な状況にあることはよく知られており、 他に引き受け手が見つからなかったのでしょう。 私は副院長で、 勤務年数が一番長い医師であり、 地元出身者であるという立場も考え、 苦渋の決断をしました。
私のようなこれといった経歴がない者が院長になったということは、 私自身は、 柏原病院が新しい時代に入ったと考えています。 「丹波地域にある県立病院」 から、 「丹波地域の県立病院」 になったということ。 つまり、 これまでの医療医学の世界でそれなりに名の通った先生が都会から赴任して来られる病院から、 地元で自立をはからなければならない病院になったということです。
当院は、 かつては何でもあるデパートのようなものでしたが、 一部シャッターを下ろしている専門店 (診療科) もあります。 柏原病院は存亡の危機にあると認識しています。 シャッター街にならないよう、 誰かが医師を連れて来ると思わず、 心ある医師に進んで来てもらえるような病院にするよう努力します。 職員一人ひとりが現状を肝に銘じて自律して行動していかなければなりません。
丹波地域にぜひ必要な、 心筋こうそくなどへの対応ができる循環器内科の再開に努力します。 市民が行き場に困らないよう、 柏原健康福祉事務所を中心に、 丹波地域はもちろん、 もっと広域の病院群と協力して、 診療科別、 疾患別の助け合いのネットワークづくりに参加していきます。
当院の行く末について、 大変な心配をお掛けしていますが、 丹波地域の地域医療を守るため、 篠山・丹波両市民のみなさんの支援をお願いします。 みなさんの支持なくして存続はあり得ません。 (談)