きょう6月10日は「時の記念日」だが、年々、時の流れが速くなっているように思えてならない。これは年を重ねたためだけではなく、身の回りの環境が変わったのも一因だと思っている。インターネットや携帯電話が生活に定着し、情報の入手や連絡が即座にできることから、「待つ」という行為が敬遠されつつあるためだろう。▼古人の歌にもあるように、愛しい人が来るのを待ち焦がれる思いは千々に乱れる。胸を躍らせて待ちながら、さらさらと流れていく時間に期待は不安、疑心、焦燥、憎悪へと変わり、はては絶望となる。そしてようやく巡り合ったときの喜び。こうした心の変化に、人は心のひだを深める。▼しかし、携帯電話ですぐに連絡がつく現代は、待つことも、待たせることもない。待っている間の時の流れ、その流れに伴う心の移り変わりをかみしめることが乏しくなった。情感を豊かにする体験の一つが消え失せつつある。▼「待つ」という行為は、人に我慢を求める。しかし、インターネットを使えば即座に欲求が満たされる現代、我慢はもはや、尊ぶ行為ではなくなろうとしている。▼待つことの耐性が弱まり、待てなくなった人々。そのニーズに合わせるため、社会のサービスは人を待たせない方向に動く。あわただしい世相に押され、時の流れが速まった。 (Y)