私事だが、先日、高校卒業後30周年の同窓会に出席した。青少年期から中年期に至る30年という歳月の流れは、同級生の容貌にありありと見て取れた。白髪が目立ち、髪が薄くなり、しわが増え、お腹が突き出したりと、当方も含めて若々しさは消え失せていた。▼人生の折り返し地点を過ぎた48歳。『淮南子(えなんじ)』の「行年五十にして、四十九年の非を知る」という言葉をかみしめる年齢になった。50歳にもなれば、人生に一応の形ができ、行く末にもおおかたの見通しがつく。ついつい「このままの路線で」と考えてしまう。▼そうではなく、来し方を振り返って非を探り、50歳からの今後を見つめ直す。硬化せずに、柔軟に生きる。そうした姿勢を持つよう、中年に自戒を促す先の言葉の後には「六十にして六十化す」が続く。▼60になっても、60になっただけ変化する。生きているかぎり、いい方向に変わっていかなければならないという教えだ。本紙6面に紹介している古本屋店主の菅野さんは、その好例と言えよう。▼市役所に長年勤務し、第2の人生として篠山で古本屋を開業した本好きの菅野さん。「儲かってはいないけど、自分の好きなことをするのが第2の人生のひとつの要素」とほほえむ姿は、さわやかだった。「六十化す」ことができる自分でありたい。 (Y)