オーバカナル赤坂シェフ  河南晋也さん

2007.07.12
たんばのひと

仏郷土料理の味再現
(かんなん しんや)横浜市在住

 1975年 (昭和50年) 篠山市東古佐生まれ。 篠山産業高商業科卒。 三田サミットホテル、 ザ・リッツ・カールトン大阪の飲食部門で働き、 上京。 25歳で1年間渡仏。 05年から現職。 ユニマットキャラバン社員。

 東京・赤坂のビジネスビル内にある仏料理レストラン 「オーバカナル赤坂」 で2年前からシェフを務める。 外資系企業が多く入居しているビルということもあり、 客の半分は外国人。 「フランスの郷土料理を再現する」 というコンセプトで、 キノコや肉類など、 食材の多くはヨーロッパから取り寄せている。
 10歳代の終わりごろ、 「居酒屋の料理人がかっこよく見えた」 ことがきっかけで料理の道へ。 包丁を握ったこともなかったが、 ホテルの洋食部門で働きはじめた。
 上京していた25歳の時、 「本場で勉強がしたい」 と渡仏を決意。 つてがなかったため、 日本から100通もの手紙を書き、 手当たり次第に電話をかけ、 何とか雇ってくれる店を見つけたという。 フランスでも飛び込みで何軒か渡り歩いた。
 帰国後、 知り合いに誘われてユニマットキャラバン社の社員となり、 新たに同社傘下となったオーバカナル赤坂のシェフを任された。
 現在抱えるスタッフは50人。 「経験を積んでいる最中で、 まだ自分の腕が名前負けしている」 というが、 「人間関係や店舗マネジメント、 私生活なども含めたバランス力なら他の人に負けない」 と自信ものぞかせる。
 朝から晩まで長時間のハードな仕事だが、 「 『ありがとう』 『おいしかった』 という声を直接聞けることが飲食業の良さ」 と話す。 将来は自分の店を持つのが夢。 都内の飲食業界は 「3年もてばいい方」 という激しい競争にさらされており、 今後の業態のあり方や環境の改善などを同業者と話し合っているという。
 篠山へ帰郷するのはお盆と正月。 「東京にいる時は 『遠い場所』 ですが、 帰ってきたらすぐにふるさとの空気になじみます。 外でしか遊んだ記憶がなく、 山も端から端まで遊び場でした」 と元腕白少年の目になった。(徳舛 純)

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