弁護士 由良数馬さん

2008.07.14
たんばのひと

法曹生活50年で表彰
(ゆら かずま)大阪府池田市在住

 1930年 (昭和5年)、 市島町生まれ。 49年柏原高卒、 神戸地裁柏原支部書記官。 55年司法試験合格、 58年弁護士登録。 大阪弁護士会副会長、 大阪府地労委会長、 池田市教育委員長などを歴任。 勲4等瑞宝章受章。

 弁護士開業50年で、 日弁連から表彰された。 「通算勝率は」 と聞くと、 「初めに勝てると見た裁判では9割5分以上」。 振り返って、 「勿論、 頭を悩ませることも多かったが、 難しい事件でも急に視界が開けてくるものです。 全体としては、 順調と言うより平凡なものでした」 と謙虚。
 思い出としては、 昭和50年代、空前の倒産と言われた永大産業の更生申立ての際、 極秘裏に進めるため大変神経を遣ったこと。 また、 ある石油販売会社が解散した時、 労働組合が解雇反対の訴訟を起こし、 清算人側の由良さんの事務所まで座り込みの抗議を受けた。 「ガソリンスタンドも占拠され、 実にきつい訴訟」 だったが、 3年がかりで和解。 当時の委員長から今も年賀状が来るという。
 敗戦の年に入学し、 4カ月だけいた海軍兵学校予科は、 「意外なほど自由な空気で、 体操の号令を英語でかけていた」。 旧制柏原中に復学し、 高校1回生で卒業。 父母を早く失い、 進学はあきらめて裁判所に就職した。 書記官として6年務める間に司法試験に合格。 「家では田んぼの仕事もしなければならなかったので、 特別勉強をした覚えはありませんが、 裁判所の仕事が役立ったのでしょう」。
 池田市の教育委員に在任中に市が財政危機に陥り、 小学校区ごとに11あった幼稚園を4園に統合しなければならなかった。 「住民投票の運動まで起こり、 苦渋の決断ではありましたが、 実態を調べるとやむを得ない面があった。 今は財政も立ち直り、 あれでよかったと思う」。
 丹波では戦中から戦後の混乱期を共にした旧中、 高校の同級生の結束が強く、 しょっちゅう集まる。 「やはり自然がすばらしい。 大阪とは空気が全然違います」。    (外野英吉)

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