捨女は、捨てられた子?

2008.08.04
丹波春秋

 柏原出身の女流俳人、田捨女はその名前の通り、親に捨てられた子どもだった。俗に言う捨て子ではなく、健やかに成長することを願って捨てたのだ。父母の厄年に生まれたり、赤ん坊が病弱だったりすると、子どもを捨てる風習が昔にはあった。▼俳人の坪内稔典氏は、「捨女は、捨てられた子だったに違いない。捨てられて拾われた子には、『捨』の字が名前によくつけられた。だから、昔の人には捨吉、捨次郎、捨松などの名が多い」という。▼家の前や辻に子どもを捨てるとき、親はあらかじめその子を拾ってくれる人を頼んでいた。この人を「拾い親」という。拾い親のように、生みの親とはまた違う親がかつての地域社会には多くいた(鳥越皓之氏著『サザエさん的コミュニティの法則』)。▼たとえば、生まれ出る赤子を取り上げる「取り上げ親」、赤子に乳を飲ます母親以外の「乳親」、子どもの名前をつける「名づけ親」。このほか、今の成人式にあたる地方の成年式の儀礼では、成年式を契機に今後の指導をお願いする親をたてた。このように地域社会にはさまざまな親がおり、子どもを育てたが、今は、生みの親が子育てのいっさいを背負っていると、鳥越氏は言う。▼時あたかも夏休み。子どもたちが学校を離れて地域にいる今こそ、地域の親たちの出番だ。(Y)

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