若いころに何度も読もうとして途中で読み捨てた夏目漱石の『我輩は猫である』を最近やっと通読。丹波篠山が登場していることを知った。篠山を引き合いに出して、いかつい男子学生たちを形容しているのだ。▼「いずれも一騎当千の猛将と見えて、丹波の国は笹山から昨夜着し立ててござると云わぬばかりに、黒くたくましく筋肉が発達している…」。漱石は、篠山を「荒くれ者が住む田舎」と見ていたのかもしれない。▼そうした見方の是非はさておき、丹波篠山には明確で強烈な個性があったことに注目したい。読者も承知しているほどの個性だからこそ、漱石は篠山を持ち出したのだろう。▼漱石は『草枕』にこう書いている。「文明は…あらゆる限りの方法によって個性を踏み付けようとする」。この指摘のとおり、文明は地域の個性をも踏み付けてきた。大型ショッピングセンター、コンビニ、ファミレス、カラオケボックスなどなど、どこに行っても同じ風景に出会う。金太郎飴のような地域がめだち、地域の個性が失われている。丹波もその例外ではない。▼人にしても、いい意味で個性的な人間はおもしろい。周囲の者をひきつける魅力がある。それは地域も同じだろう。丹波に人を引き寄せるには、引き寄せられるほどの個性を持たなければいけない。 (Y)