篠山城の大書院で、「石敢當(せっかんとう)」と書かれた湯飲みが販売されている。篠山藩校「振徳堂」の玄関前に、石敢當の石柱が立てられていた史実にちなむものだ。石敢當には「向かうところ敵なし」の意味があるらしく、転じて、受験の味方としていかがと売られている。▼御利益のほどはさておき、篠山の教育熱の一端を石敢當にみることができる。石敢當は、町のT字路の突き当たりなどにあるのが普通で、藩校という教育施設に立てたのは全国でも篠山のただ一つらしい。▼強い人を育て、教育の場に邪気を入れないという思いから石敢當を立てたと見られ、それは教育に熱心だった風土を思わせる。明治9年に、篠山鳳鳴高校の前身である私立篠山中年学舎ができたのも、その風土のあらわれだろう。▼振徳堂は1766年に創建されたが、江戸時代の後半になると、各藩は先を争うように自前の藩校をつくった。ほとんどの藩が財政難に陥り、教育による人材育成を通して再建を図ろうとしたのだ。いずれの藩校も、「修己治人(己を修め、人を治む)」を核心とした儒学を教えた。▼さて現代。財政難などの危機は当時と同じだ。ぜひとも、人として器があり、社会を担える人物が育ってほしい。石敢當に込められた思いが今も流れる教育であってほしい。 (Y)