「人種を問わず自由と平等」をうたった米国の公民権法が制定されたのは1964年。きっかけとなったのはその9年前、アラバマ州でバスの運転手から「白人に席を譲れ」と命じられた黒人女性が「ノー」と言い、逮捕されるに至った事件だった。▼それから1年後、最高裁が「車内での人種分離は違憲」との判決を出すまで、キング牧師の指導のもと町中すべての黒人がバスの乗車をボイコット。雨の日も風の日も笑顔で徒歩通勤する画面は感動的だった(NHK「その時歴史が動いた」)。▼しかし、法の制定で差別がなくなったわけではない。初の黒人女性国務長官(ブッシュ政権)となったコンドリーザ・ライスは少女時代、友達が狂信的白人優越論者のテロの犠牲になったのを目にし、「絶対に偉くなる」と決意した。▼その前任、初の黒人国務長官、コリン・パウエルも軍隊時代、「兵舎の外で何が起ころうとも、どんな侮辱も、どんな不公正も、自分の成績の邪魔にはさせまい」と心に誓った(「自伝」)。そして同法から約半世紀を経て、奴隷の子孫がファースト・レディーに。▼日本のある大物政治家が、「首相の座寸前まで行った際、僚友から出自をあからさまに蔑まれた」と悲憤慷慨したのは、数年前。我々は黒人大統領の出現を「海の向こうのこと」とのみ受け止めていないか。 (E)