夏目漱石の「三四郎」を50年ぶりに読んで、本筋には関係ないところで気になったことが一つ。熊本の高等学校を卒業した三四郎が、帝大に入学すべく東京に向かう汽車の中で、食べ終えた弁当がらを車窓からポイと投げ捨てる。向かいに乗り合わせた先生風の男(三四郎の上京後に再会し、重要人物に)も、たいらげた水蜜桃を新聞紙ごとポイ。▼「江戸や明治の人のモラルは現代人よりまし」というイメージを持っていたのだが、インテリやエリートの卵でもこれが自然の振舞だったとは。プラスチックのない弁当がらはすぐに風化したろうが、ポイ捨ての遺伝子だけは根強く残ったらしい。▼ライオンズクラブの行事で柏原川の土手のゴミ拾いをした。アシの茂る根もとに、並みのゴミは勿論、下着やロープ、鏡のかけら等々、何でも埋まっていた。マネキンの頭がゴロリと出てきてドキリ。▼弁当がらをハサミで几帳面に切り刻んだプラスチック片。ごていねいに、市の規定のゴミ袋に入れて名前まで書き込んだものも。現代人は、三四郎よりは多少進歩したのだろうか。▼手伝ってくれたボーイスカウトの小学生もあきれかえっていた。ポイ捨ての遺伝子だけは、いい加減に断ち切りたい。学校の授業に是非、校内のみならず校外の清掃美化を取り入れてほしい。(E)