少年の朝少女の朝

2009.03.21
丹波春秋

 一昨年まで大手会館の名で親しまれた柏原町内の木造建物が、県指定文化財になることが決まった。この建物は明治18年、氷上郡高等小学校の校舎として建てられ、のちに柏原高等女学校となるなど地域の教育の核となった。▼卒業生の一人に芦田恵之助がいる。「国語教育界の巨人」といわれた恵之助だが、小学校時代は勉強が苦手で、卒業のときは40人中37番。寄宿舎の夜の自習時間に友達を集めて講談を語って聞かせ、拍手喝さいを受けたのはいいが、先生に見つかり、ひどく叱られたこともあった。成績表には「軽率」と記されていた。▼米の研究に一生を捧げ、文化勲章を受けた安藤広太郎も同小学校で学んだ。子ども時代、体が弱かった広太郎の背中には、いつも「やいと」の跡があったそうだ。上の学校に進むとき、体格検査で落ちるのではと心配し、入学通知を受けたときは涙がこぼれて仕方なかったというエピソードもある。▼勉強ができず、ひ弱だった少年が長じて、後世に残る仕事をやってのける。子どもの持つ可能性の豊かさを思わずにいられない。▼柏原高等女学校の卒業生に、俳人の細見綾子がいる。その句碑が建物の敷地内に立っている。「雉子(きじ)鳴けり少年の朝少女の朝」。かつてこの建物で学んだ少年少女たちの影が浮かんできそうだ。    (Y)

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