彼岸の候である。真東からのぼった太陽が真西に沈む。「西方浄土」というように、西方のはるかかなたには極楽浄土がある。昔の人たちは、太陽が真西に沈む様を極楽浄土に沈む様になぞらえ、死後には浄土に至ることを願った。▼しかし、現代の人たちは、死後の世界にあるとされる浄土をどれほど信じているだろうか。来世よりも現世。あるかどうかわからない来世ではなく、今ここにある世界で浄土を手に入れたい、満喫したいと願っているのでは。▼西行もそうであったと、旧制柏原中学校卒業の歌人、上田三四二氏が指摘している。世俗を捨て出家し、歌人として生きた西行。上田氏は「西行は現世に浄土を見ようとした人だ」という。▼ただ西行にとって、現世を浄土たらしめるのは、花に逢うことであり、月を見ることであった。花や月を愛することが、生きる喜びであると同時に、現世が浄土となるよすがだった。西行の清廉さに引き比べて、物欲や金銭欲など世俗の欲を満たすことで現世を浄土たらしめたいと願っている現代の人たちのなんと浅ましいことか。▼「西方十万億土」という。極楽浄土は、人間界から十万億の仏土をへだてたところにあるとされる。無限のかなたにあるという意味だ。世俗の欲にまみれた人にとっては、こちらが適切かも。 (Y)