元商社マンの作詞家 稲岡俊一さん

2009.04.30
たんばのひと

自然の情景織り込む
(いなおか しゅんいち)東京都在住

 1944年 (昭和19年) 京都府宮津市生まれ。 柏原高、 大阪外国語大 (現大阪大外国語学部) 卒業。 伊藤忠商事入社。 05年に定年退職。

 昨秋、 神奈川県立秦野総合高校の校歌の作詞に応募したところ、 92名の応募者、 153点の応募作品の中から最優秀賞を受賞した。 「青雲の空高くはるかに続く丹沢の峰、 自然豊かなまほろばに集うまなざしたくましく」 …。 生徒、 教員、 父兄の集う発表会、 授賞式に招かれ、 先生から 「校歌を作るという機会にはめったに巡り合えない」 とうらやましがられた。
 他にも、 掛川市歌や山梨大学の学生歌、 防災標語など、 あちこち応募して上位入賞を獲得している。 「短い言葉を織りなすのが好きですね。 短歌や俳句もたしなみます」。
 定年を迎え、 関連会社で週に2~3日の勤務という悠々自適のセカンドライフが始まった。 若いころから趣味の域を超えた作詞活動にようやく本腰を入れることに。 「20代のころは、 森進一の 『女のためいき』 を作詞した故吉川静夫さんが会長をしていた日本詩人連盟に所属していて、 僕の作品が同人誌に掲載され、 レコードになったこともある」 というほど入れ込んだ。
 そのうち、 本業が忙しくなり、 インドネシアを皮切りに、 マダガスカル、 エチオピア、 インドと、 通算12年ほどの海外生活が続いて、 趣味はしばらくお預けに。 「どの国も開発途上国ですが、 人々は素朴で性質がいい。 自然の豊かなところに人間性が育まれるのですね。 東京のような都会のどこがいいですか」 と、 ビルの谷間から東京の空を見上げるようにした。
 父が国鉄マンだったため、 小中学時代は丹波や但馬の学校を転々。 八鹿中学で校歌に応募して、 皆の前で先生から褒められたのが、 最初のきっかけだが、 作品はすべて自然の情景描写にあふれている。 「どこに行っても山や川に空に慰められました」。 演歌が好きで、 自ら人前で歌うのも得意だったらしい。 (上 高子)

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