ヘレンケラーが「あなたは私よりも偉い人だ。世界の奇跡だ」と感動した女性がいる。中村久子だ。明治30年、飛騨高山に生まれた久子は、3歳のときに病気から両手両足を失った。▼19歳のとき、見世物小屋に売られた。「だるま娘」と言われ、口で字を書いたり、裁縫をしたりという芸を見せた。北は樺太、南は台湾まで興行に巡った。その後、結婚。昭和12年、ヘレンケラーと会見し、口で縫った日本人形を贈った。ヘレンケラーは久子の全身をさわったあと、抱きしめた。▼久子の母親は、身の回りのすべてを久子にさせた。「こたつの火ぐらい自分でいれなさい」と、マッチの火も自分でつけさせた。何度失敗しても、母親は「できるまでやりなさい」と突き放した。久子が一人で生きられるよう、母親は心を鬼にした。▼のちに久子は語っている。「手足のない私が、今日まで生きられたのは、母のおかげです。生きてきたのではない、生かされてきた」。母親の恩に報いるため、久子は昭和40年、故郷の寺に悲母観音像を建立した。▼交通事故で両腕をなくした中学生の娘とその母親と対面し、母親らが娘の世話をこまめに焼いていることを知った久子は厳然と戒めた。「今日限り自分のことは自分でしなさい」。久子にして初めて言える言葉だ。きょう10日は「母の日」。(Y)