吉見伝左衛門

2009.06.22
丹波春秋

 昭和14年。この年は、40年来の干ばつと言われ、6月に入っても田植えのできない村が多かった。そんななか、鴨庄村(市島町)に前年、完成したため池は満々と水をたたえていた。村人たちは役場に押しかけ、「池の水を抜いてくれ」と懇願した。▼当時、氷上郡で最大級だったため池をつくりあげたのは、「ちび伝」との異名をとった小柄な村長、吉見伝左衛門だった。干ばつから村を救いたいとの思いで工事の計画を練ったが、工事は難航をきわめた。▼国や県の補助があるとはいえ、地元も負担しなければならず、不満をもらす者が少なくなかった。「万一、堤防が切れたら、みんな溺れ死んでしまう」など、村人の反発もあった。工事に協力していた村人が作業を渋るようになり、県とも衝突するなど、さまざまなトラブルがあったが、着工から4年6カ月をかけて完成した。▼水がたまり始めても心配の種は尽きなかった。もし決壊すれば一大事だ。夜中、こっそり家を抜け出し、堤防の上に腹ばいになる。不気味な音がしないか、土に耳をくっつけ、全神経を集中した。3日とあけず、深夜のため池に通いつめた。▼そして、いよいよため池の真価を発揮するときが来た。村人の懇願を受けて初めて配水。それは60年前の6月22日だった。忘れたくない歴史である。 (Y)

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