約250年前、お年寄りや子どもを除いた篠山市内の男子のうち、およそ4分の1が阪神間へ働きに出かけていたという。その多くが酒造出稼ぎであったことは言うまでもない(春木一夫著『謎の丹波路』から)。丹波は、まさしく杜氏の里であった。▼その丹波篠山にある大関丹波工場が、今期、清酒製造を休止するという。年々、販売量が落ち込んでいる日本酒業界の状況が背景にあるらしい。日本酒党にとって残念なことだ。▼「ビールはのどを潤す。日本酒は心を潤す」。鳳鳴酒造の井階作京社長から聞いた言葉だ。日本酒は、私たちの生活文化に根ざしているから、心を潤してくれるのだろう。たとえば、元旦に村の神社にお参りすると、神社の世話人から日本酒をいただく。結婚式の三々九度でいただくのも日本酒だ。▼杯をやりとりする献酬も、日本酒の酒席ならではの慣習といえる。目上の人などから杯をいただき、返杯をする。濃密な人間関係を結ぶ上でも日本酒は貢献している。この点、現今の日本酒離れは、人間関係の疎遠化とあながち無関係でないのかもしれない。▼俳人で、酒をこよなく愛した山頭火はこう記している。「酒のうまさ、水のうまさ、それが人生のうまさでもある。水、米、酒、豆腐、茶、俳句―よくぞ日本に生れたる!」。同感である。(Y)