秋祭りの季節。ふと「徒然草」を思い出した。「桜の花は真っ盛りのみを見るものだろうか」という有名な言葉で始まる第百三十七段だ。この中で、兼好は、賀茂祭を引き合いに出し、祭りの味わい方についてふれている。▼「何事も、始めと終わりが特におもしろい」とする兼好の視点は、祭りも同様にとらえる。祭りの始まりも楽しいが、祭りが終わったあとの物悲しさはとりわけ心にしみる。夕暮れともなれば、人も少なくなり、桟敷のすだれや畳も取り片付けられる。みるみる寂しくなる様子に、「世の無常を思い知り、感無量だ」という。▼祭りに人生の無常を重ねた兼好の筆は、このあと死生観に及ぶ。若かろうと、丈夫であろうと、死は思いがけずに訪れるものであり、「今日までのがれ来にけるは、ありがたき不思議なり」と書く。今日まで死をまぬがれてきたのは、実に稀な、不思議なことなのだ。そのことをかみしめないといけないと、兼好は説く。▼死すべきはずのものが、幸いにして死をまぬがれている。その「ありがたき不思議」を思い、存命の喜びを味わうべきだというのが兼好の論であろう。▼秋祭りは、言うまでもなく作物の実りに感謝するもの。その秋祭りを今年も楽しめる。実りに感謝するとともに、「ありがたき不思議」にも感謝したい。 (Y)