社民党前参院議員の田英夫さんが亡くなった。「昭和46年に初当選したときは、柏原にあるお墓にお参りしました」と、田さんから聞いたことがある。お墓には、今のJR福知山線の開通などに力を尽くした田艇吉と、逓信大臣や台湾総督などを務めた田健治郎が眠っており、艇吉・健治郎兄弟の生まれ育った柏原町下小倉にある。健治郎は、田さんの祖父にあたる。▼篠山藩の学者、渡辺弗措(ふっそ)に学んだ健治郎は、12歳のとき、江戸に上る弗措に同行を申し出て、徒歩で篠山と江戸を往復。江戸のまちを自分の目で見たいという向学の志を幼くして持っていた。▼16歳で和田山の資産家に養子に入るが、中央に出たいという志を捨てきれなかった健治郎は、「郷里を捨てても志をとげてみせる」との誓いを立て、養家と離縁。柏原の実母に「今後は金銭上の援助は決して受けない。自らの力で学を修める」と言い放った。若くして独立独歩の気概に満ちていた。▼健治郎の兄、艇吉は、明治の鐘ヶ坂トンネルの開通にも心血を注ぐなど、「丹波開発の父」と言われた。その功績の上に今の丹波がある。▼田さんは「東京で政治をした健治郎に対して、艇吉は地元のために尽くしましたね」と語っていた。艇吉・健治郎兄弟の気骨を田さんも受け継いでいたに違いない。 (Y)