お手伝い

2010.02.22
丹波春秋

 篠山で開かれた市民講座で、インドネシアから来日している研修生が苦言を呈した。「母親がご飯を作っているとき、子どもはテレビを見たりゲームをしたりしているが、手伝った方がいいと思う」。日本の家庭の風景をずばりと突いた指摘だ。▼子どもの成長にとって、手伝いがいいことなのはわかっている。親から「ありがとう」とほめられることで、自分が家族の役に立ったことが実感でき、家族の一員として認められたような誇らしい気持ちになれる。家族は小さな社会であり、手伝いは一つの労働だ。手伝うことで、労働による社会参加も体感できる。▼昔は、どの家庭でも子どもの手伝いは当然のことだった。自分の子ども時代を振り返ってみても、風呂のたきぎを準備し、沸かしたものだ。しかし今は、スイッチ一つで蛇口をひねれば、湯船に湯が満ちる。このように家で子どもが手伝う場面はめっきり減った。▼手伝いの有用性は理解していても、手伝わせる場面がない。それでもと、手伝わせようとすると、かえって親に負担がかかることが少なくない。それならば「何もしないでじっとしていてくれ」となり、子どもはテレビやゲームになっているのではないか。▼しかし、それは決して子どものためにはならない。研修生の指摘には平伏の思いがする。(Y)

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