映画「おくりびと」でその存在が知られた納棺師。その仕事に携わる青木新門さんに『納棺夫日記』という著書がある。それによると、青木さんは富山でパブ喫茶を営んでいたが、店が倒産。子どものミルクを買うお金さえなくなり、新聞の求人欄で見た「冠婚葬祭互助会 社員募集」に飛びついた。▼死体にかかわる仕事。叔父から「親族の恥」とののしられ、友人も遠ざかっていった。青木さんは人の目を気にするようになり、自らを卑下したが、湯かんの現場でかつての恋人と出会って一変した。▼湯かんをした遺体は、かつての恋人の父親。その女性が向けたまなざしに、青木さんは救われた。自分という存在をありのまま認めてくれるようなまなざしだった。「(人は)己をまるごと認めてくれるものがこの世にあるとわかっただけで生きていける」。▼最近、NHKテレビで見た中年男性の孤独な姿から、青木さんのこの言葉を思い出した。仕事を失った一人暮らしのその男性は、団地に閉じこもり、社会と隔絶した日々を過ごしていた。男性は「人とのつながりがなくなるのは、自分という存在が消えてしまうということ」とつぶやいた。▼人は、他者とつながり、他者から認められてこそ、人として存在できる。画面に映った男性の背中を見ながら、そう思った。(Y)