吉野弘の詩『二月の小舟』から。「冬を運び出すにしては 小さすぎる舟です/春を運びこむにしても 小さすぎる舟です/ですから、時間が掛かるでしょう 冬が春になるまでは…」。じれったいほど、春の歩みはゆっくりしている。でも、そう受け止めるのは、春を待ち焦がれる思いが強いためかもしれない。▼「春が来た」と言う。「春は来た」とはあまり言わない。「が」と「は」。この違いは何か。国語学者の大野晋氏によると、「春が」は春を発見した喜びの表現だ、という。山や里、野にも来た春。『春がきた』の唱歌は、自然の中に春を見つけた喜びを歌っている。春の到来を人々がどれほど待ち遠しく思っているかが、「春が」の言葉からうかがえる。▼「どこかで春がうまれてる」という歌もある。この「春が」も喜びの表現だろう。春を見つけた喜びに加えて、春を迎えた喜びもある。▼『春よ来い』に出てくる「みいちゃん」は、春を迎える日を心待ちにしている。歩き始めたばかりの「みいちゃん」にとって、春とは「赤い鼻緒のじょじょはいて、おんもへ」出る時だからだ。「おんも」へ出れば、新しいものとの出会いがあるだろう。それも発見の喜びだ。▼春は旅立ちの季節。入学や入社など、多くの子どもや若者が「おんも」に出る。わくわくしていますか―。(Y)