ゆとりと決別

2010.04.05
丹波春秋

 未開社会は、ゆとりのある社会だそうだ。民族学者が世界中の数多くの未開社会を調査したところ、多くが1日の労働時間は2―4時間しかなかったという。1日の食糧を獲得するためには、その程度の労働で十分であり、食糧をため込まなくても神々が分け与えてくれると信じているかららしい。▼労働時間が短い分、生活はゆったりとしている。家族や友人とおしゃべりし、昼寝をする。絵を描くなどの芸術も楽しむ。1日に8時間以上も仕事に励み、ばたばたと追われている文明人と比べて、どちらが文明的な生き方なのか。ちょっと考えてしまう。▼明治以後、日本は西洋文明を模範にし、文明国への道を突っ走った。そのあわただしい様子を、石川啄木は「せっかち」と表現した。「今日、新聞や雑誌の上でよく見受ける『近代的』という言葉の意味は、『性急(せっかち)なる』ということに過ぎない」。▼日本人は、未開社会のようなゆとりをきっぱりと否定した。せっかちは、ゆとりとは正反対。啄木の言う「性急な者ども」になった我々はこのとき、ゆとりを卑しむような意識を心のどこかに植えつけたのかもしれない。▼小学校の教科書のページ数が大幅に増え、「ゆとり」と決別したらしい。その底には、ゆとりに対する根っからの反発がないだろうか。   (Y)

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