甲子園のウグイス嬢
(西宮市在住)
甲子園球場でウグイス嬢を務める。 「藤川球児投手の名前を告げるとき、 私のアナウンスを待って、 満員の阪神ファンがどっと歓声をあげる。 そのときは、 ぞくっとします。 楽しくて、 やりがいのある仕事です」
小学校の卒業文集で、 『将来はテレビのレポーターになりたい』 と書いた。 和田中学校では放送委員会、 柏原高校では放送部に所属。 同志社大学では、 野球部の試合のウグイス嬢として活躍した。 4年生のとき、 甲子園でアナウンスの仕事ができればと、 甲子園球場に採用について問い合わせたところ、 「だれかが辞めなければ補充しないなか、 たまたま1人の募集があったんです。 運が良かったです」。
阪神の2軍戦、 全国高校野球などのアナウンスを体験し、 入社3年目の8月30日、 阪神―中日戦で1軍デビューを果たした。 「うれしさと不安が入り混じり、 1週間前からご飯がのどを通りませんでした」。 試合は、 延長12回の末に引き分け。 「長時間のゲームになり、 精神的にも肉体的にもぐったりしました」。 両親ら家族も球場に駆けつけ、 試合後、 母親から 「お疲れさま」 と声をかけられた。 「親も、 私のアナウンスを心配していたと思います」 と振り返る。
甲子園での1軍戦や高校野球、 2軍戦のほか、 地方球場で阪神が主催する試合でもアナウンスをし、 年間、 60試合ほどマイクの前に座る。 「阪神が甲子園で優勝を決める試合や、 日本シリーズでアナウンスをしたいですね」
父親はかつて少年野球チームの監督をし、 兄2人も少年野球チームに所属。 そんな環境で育ったためか自然と野球が好きになり、 ひいきのチームも家族そろって阪神。 「就職が決まったとき、 家族は大喜びでした。 両親も兄もよく甲子園に応援に来ています」 とほほえむ。 (荻野祐一)
1981年 (昭和56年) 丹波市山南町生まれ。 柏原高校、 同志社大学卒業。 2004年、 阪神電気鉄道株式会社に、 阪神甲子園球場放送担当として入社。 旧姓は石塚。