県柏原総合庁舎近くの道沿いに建つ堂々とした銅像を、通りすがりに目にした人は多かろう。この銅像が最近、約200メートル西の町なかに移された。前と比べて目につきづらくなったが、銅像の主は喜んでいるに違いない。生まれた所に里帰りできたのだから。▼銅像の主は、柏原出身の農学者、安藤広太郎だ。稲や麦の優良品種を多く作り出し、収量の増大に寄与。東北地方の凍霜害を研究し、対策の樹立に努めるなど、多くの功績をあげ、1956年に文化勲章を受章。その2年後、87歳で亡くなった。▼農学者として名をはせた安藤だが、もともとは応用化学を志望していたという。それが農学の道に進んだのは、父親が「学校を終えたら田舎に帰ってほしい」と望んだからだ。悩んだ末、ふるさとでも役に立つ学問をと、農学を学んだ。▼安藤の生家は、製油や荒物などを扱う商家だった。安藤の少年期のこと。親類などの中には「子どもに多額の金をかけて学問をさせると、徒食の人になってしまう」「子煩悩にもほどがある」と言う者がいたが、父親は耳を貸さなかった。息子の向学の志を受け入れ、高等小学校卒業後、上の学校へ進ませた。▼「父の態度は立派なものだった」と、安藤はいつも感謝していたという。この父ありて、この子あり。そんな思いを抱く。 (Y)