漱石と鮎

2010.06.14
丹波春秋

 鮎の季節を迎えた今、面白い話を聞いた。のちに柏原に移り住み、名を残した人が黒田庄町に住んでいたころ、夏目漱石に鮎を送った。ところが、東京に届いたころには鮎は腐っていた。漱石は、鮎の送り主に手紙を出した。▼「小生はただいま病気にて当院に静養中にこれあり」。鮎が届いたとき、漱石は胃潰瘍のため入院していた。あいにく鮎が食べられない身だった。ゆえに「腐っても腐らないでも物質上の利害は同一に候」とし、お気持ちに対して感謝すると書き添えた。▼「物質上の利害は同一に候」とは、しゃれている。この例文の使い道はないかと考え、たばこを思いついた。たばこを吸わない身には、たばこが値上げされようが、されまいが「物質上の利害は同一」だろう。ところが、小生のような愛煙家にはこたえる。▼愛煙家にとって誠に肩身の狭い時代となった。でも、だ。ものを書くとき、言葉につまずくと、どうしても手が伸びる。たばこを吸って思案する。そんなひとときが、ものを書く上では欠かせない。▼このように、こじつけて言い逃れることや負け惜しみの強いことを「漱石枕流(ちんりゅう)」という。漱石の名の由来となった四字熟語だ。漱石は鮎が食べたかったのに食べられないから「物質上の利害は同一」などと強がったのかも。 (Y)

関連記事